パリの中心、ルーブル美術館。
その中庭に立つガラスのピラミッドは、今ではパリを代表する風景の一つになっています。
しかし、少し視点を変えてルーブルを見てみると、この場所には建物だけでは説明できない、いくつもの「流れ」が重なっていることに気づきます。
ルーブル宮殿からカルーゼル凱旋門、チュイルリー庭園、コンコルド広場、シャンゼリゼ、エトワール凱旋門、そして遠く西のグランダルシュへ。
地上から地下へ。
石からガラスへ。
過去から現在へ。
光の流れ、人の流れ、視線の流れ、そして都市の流れ。
それぞれは一本の「スレッド(thread)」です。
一本一本のスレッドをたどり、それらを重ねていくと、ルーブルという建築を超えた、もっと大きな流れが浮かび上がってきます。
ここでは、その流れを「ルーブル・ストリーム」と呼ぶことにします。
1 石の宮殿に現れたガラスのピラミッド
ルーブルの歴史は、中世の要塞にまでさかのぼります。
その後、王宮として拡張され、フランス革命を経て美術館へと姿を変えてきました。
長い時間をかけてつくられた巨大な石の建築です。
その中心に20世紀、新しい素材が現れました。
ガラスです。
建築家I.M.ペイによって設計されたガラスのピラミッドは、1989年に完成しました。
重い石と、透明なガラス。
過去と現代。
一見すると対立しているように見える二つの建築が、同じ場所に存在しています。
2 第一のスレッド ― 人の流れ
ガラスのピラミッドは、単なるモニュメントではありません。
最大の役割は、ルーブル美術館への入口です。
世界中から訪れた人々がピラミッドへ集まり、そこから地下へ降りていきます。
地下の大きな空間へ到達すると、人々は再び複数の方向へ分かれ、それぞれの展示空間へ向かいます。
集中し、下降し、そして分岐する。
ここには、はっきりとした「人のスレッド」があります。
3 第二のスレッド ― 地上と地下
ルーブルには、もう一つのピラミッドがあります。
地下のカルーゼル・デュ・ルーブルに設けられた逆ピラミッドです。
地上のピラミッドは空へ向かって立ち上がり、地下の逆ピラミッドは下へ向かって伸びています。
上と下。
地上と地下。
正と逆。
二つを別々の造形として見るのではなく、一つの関係として捉えると、ルーブルには水平方向だけでなく、上下を結ぶ垂直方向のスレッドも存在していることが見えてきます。
4 第三のスレッド ― パリを貫く都市軸
今度は、視点をルーブルの外へ広げてみます。
ルーブルから西を見ると、カルーゼル凱旋門があります。
その先にはチュイルリー庭園、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、エトワール凱旋門が続きます。
そして現代になり、その延長上にはラ・デファンス地区のグランダルシュが加わりました。
王宮。
庭園。
広場。
大通り。
凱旋門。
現代都市。
時代の異なる空間が、一つの大きな軸によって結ばれています。
5 第四のスレッド ― 方位と角度
都市の軸を見るとき、もう一つ興味深いものがあります。
それが方位と角度です。
ルーブルから西へ続く歴史軸は、単純な真東―真西の線として見ることはできません。
都市には地形や既存の道、歴史的な計画、建築の配置などが重なり、それぞれに方向があります。
そのため、地図の上に方位と軸線を重ねると、普段歩いているだけでは気づかなかった「ずれ」が見えてきます。
約6.3度という小さなずれ
さらにルーブル周辺の建築や軸線を細かく見ていくと、約6.3度という小さな角度の違いにも注目することができます。
重要なのは、数字そのものだけではありません。
一つの都市の中には、一方向だけではなく、異なる時代につくられた複数の方向性が共存しているということです。
大きな都市軸の中に、さらに小さな軸がある。
それもまた、一つのスレッドとして見ることができます。
6 第五のスレッド ― 光
ガラスのピラミッドには、もう一つ重要な役割があります。
光を地下へ導くことです。
石の建築は空間を囲います。
一方、ガラスは光を通します。
ピラミッドを通過した自然光は地下空間へ入り、地上と地下を視覚的にも結びつけます。
つまり、ここでは人だけが地上から地下へ移動しているのではありません。
光もまた、同じ方向へ流れています。
7 第六のスレッド ― 石とガラス
「大理石の物語」という視点からルーブルを見ると、素材の関係も見逃すことができません。
長い歴史を持つルーブル宮殿は、石によってつくられてきました。
そこへ現代になってガラスが加わりました。
石は重く、厚く、長い時間を感じさせます。
ガラスは軽く、透明で、光を通します。
しかしペイは、古い石造建築を消して新しい建築に置き換えたわけではありません。
石を残し、その中央にガラスを置きました。
異なる素材が対立するのではなく、互いの違いを際立たせながら一つの空間をつくっています。
8 第七のスレッド ― 時間
ルーブルには、もう一つ目には見えないスレッドがあります。
時間です。
中世の要塞から王宮へ。
王宮から美術館へ。
そして20世紀のガラスのピラミッドへ。
一つの時代が終わるたびにすべてを壊してつくり直したのではありません。
過去の上に、新しい時代が重なってきました。
ルーブルを歩くということは、建物の中を移動するだけではなく、異なる時代の間を移動することでもあります。
9 スレッドは単独では存在しない
ここまで見てきたスレッドを、もう一度重ねてみます。
人のスレッド。
人がピラミッドへ集まり、地下へ入り、展示空間へ分かれていく。
上下のスレッド。
地上のピラミッドと地下の逆ピラミッド。
都市のスレッド。
ルーブルから西へ、パリの歴史軸が伸びていく。
方位のスレッド。
都市や建築が、それぞれ異なる方向性を持っている。
光のスレッド。
ガラスを通った光が地上から地下へ流れる。
素材のスレッド。
石の建築にガラスの建築が重なる。
時間のスレッド。
中世から現代まで、異なる時代が同じ場所に積み重なる。
これらは、それぞれ独立した現象のように見えます。
しかし、同じ場所で互いに交差しています。
10 スレッドからストリームへ
一本の糸だけを見ていても、全体の姿は分かりません。
しかし、何本もの糸が重なると、一つの織物が生まれます。
建築も同じように考えることができます。
建物だけを見るのではなく、人、光、風、地形、道路、方位、素材、歴史など、そこに存在する複数のスレッドを見る。
そして、それらがどこで集まり、どこで交差し、どこへ向かっているのかを見ていく。
すると、静止していた建築が「流れ」を持ちはじめます。
スレッドが重なり、ストリームになる。
ルーブルのガラスのピラミッドは、その複数のスレッドが交差する一つの結節点として見ることができます。
11 相似象という視点
自然界を眺めると、異なる大きさの世界に、似たような「流れ」の形が現れることがあります。
樹木の幹から枝が分かれる。
川の本流から支流が分かれる。
血管が体内で枝分かれする。
都市では、大きな道路から小さな道路が分岐し、人々がそこを移動します。
もちろん、これらがすべて同じ原理でできているという意味ではありません。
しかし、集中・分岐・循環・流れという形に注目すると、異なるスケールの中に似た構造を見つけることができます。
ルーブルでも、人はピラミッドへ集まり、地下へ入り、そこから再び各方向へ分かれていきます。
さらに視野を都市へ広げれば、ルーブルから大きな都市軸が伸びています。
建築の中の小さな流れと、都市の中の大きな流れ。
こうした異なるスケールの関係を考えることも、相似象という視点から建築を見る一つの方法です。
12 見えないものを見る
建築を見るとき、私たちは壁や柱、屋根、石、ガラスといった「形のあるもの」に目を向けます。
しかし建築をつくっているのは、形のあるものだけでしょうか。
そこには光があります。
風があります。
人の動きがあります。
視線があります。
土地があります。
方位があります。
そして時間があります。
それらは建物のようにはっきりとは見えません。
しかし、一つずつスレッドとしてたどっていくと、建築と都市の中に存在する「流れ」が少しずつ見えてきます。
13 ルーブル・ストリーム
ルーブルは、一つの美術館です。
しかし視野を広げれば、それだけではありません。
石の宮殿とガラスのピラミッド。
地上と地下。
ピラミッドと逆ピラミッド。
人と光。
建築と都市。
過去と現在。
それぞれの間に一本のスレッドがあります。
そして、その一本一本を重ねていくと、ルーブルからパリの街へ、さらに時間の中へと続く大きな流れが浮かび上がってきます。
一本一本のスレッドは、別々に見える。
しかし、それらを重ねて見たとき、一つの大きな流れが現れる。
それを、ここでは「ルーブル・ストリーム」と呼ぶ。
建築とは、そこに立っている物だけではないのかもしれません。
目に見える建築の背後にある、目には見えない関係。
その流れをたどっていくことで、これまでとは少し違った建築の姿が見えてきます。