角度を変えるたびに、まるで石の内側で光そのものが揺れ動いているかのような輝きを見せる。この輝きは、石の中の長石が板状に薄く成長する過程で光を反射する、シラーと呼ばれる光学現象によるものである。
この石が採れるのは、北欧ノルウェー南部、オスロから南へおよそ100キロのラルヴィクという小さな港町である。人口3万人ほどのこの町の名は、御影石の商業名の中では聞くことは少ないが、実は地質学の世界では広く知られている。

名前になった街
「エメラルドパール」は商業上の呼び名で、この石は地質学上「ラルヴィカイト」と呼ばれる。名前の通り、ラルヴィクという町の地名がそのまま岩石名になった、数少ない例のひとつである。この石の記録は古く、1794年にはすでに、ノルウェーの地質学者イェンス・エスマルクが、その独特の青い光の現象に着目し、「ラブラドール」の名で報告している。
カナダのラブラドール半島で見つかった長石の輝きにちなんだ呼び方だった。その後、19世紀末にかけて地質学者ヴァルデマール・ブレッガーが、この石の鉱物組成を体系的に調べ上げ、正式に「ラルヴィカイト」という独立した岩石名を確立させている。名付けの際、彼は「ラルヴィク」の地名にあえて「イト(-ite)」という鉱物名特有の語尾をつけ加えた。この一帯に露出する岩盤は、およそ3億年前、現在のオスロ地溝帯で起きた大規模な火山活動によって形成されたものだとされる。
北欧の地質図の中でも、この地域一帯は「ラルヴィク火成岩複合体」と呼ばれる独自の名で区分されている。ちなみに、この石は輝石閃長岩(モンゾナイト)に分類される石であり、鉱物学的には厳密には花崗岩ではない。それでも商業的には「ブルーパール」「シルバーパール」、そしてこの「エメラルドパール」など、いずれも「グラナイト」の名を冠して世界中に流通している。

月夜にウインクした石、という伝説
この石をめぐっては、こんな逸話も伝えられている。19世紀の終わり頃、ヨーロッパで開かれたある万国博覧会に、ノルウェーは自国の代表的な石材を出品することになった。ところが当時のノルウェーには、胸を張って送り出せる建材用の石がほとんどなかったという。困り果てた関係者がブレッガーに助けを求めたところ、彼は自らが登録したばかりのこの新しい石を即座に推薦した。
伝説によれば、彼は月明かりの下でこの石が青く「ウインクした」のを見て、その美しさを確信していたのだという。真偽のほどは定かではないが、この逸話が示す通り、ラルヴィカイトはこうして国際舞台へと躍り出て、審査員から高い評価を受け、その後の国際的な普及の足がかりを掴んだと伝えられている。

世界に散った月光
以来この石は、世界各地の名だたる建築物の外壁や床材として使われてきた。ニューヨークの国連本部ビルにも、この石が使われている。イギリスでは、パブの外壁や柱にこの石を使う例があまりに多かったことから、「パブ石」という愛称までつけられているほどだ。
国際地質科学連合は、人類の文化に大きな影響を与えた石材として、ラルヴィカイトを「グローバル・ヘリテージ・ストーン」に認定しており、ノルウェー国内では非公式に「ノルウェーの国石」とも呼ばれている。もとは一つの小さな港町の地名にすぎなかった呼び名が、今では世界中の建築用語の中に、静かに組み込まれていることになる。
同じ町で生まれた冒険者
そしてこのラルヴィクという町からは、ラルヴィカイトが正式に石として認められてからおよそ30年後、もう一つの「世界に出ていったもの」が生まれている。
1914年、この町の醸造家の息子として生まれたトール・ヘイエルダールは、幼い頃から動物学に強い関心を持ち、生家に小さな博物館を作っていたという少年だった。オスロ大学で動物学と地理学を学んだ彼は、1947年、バルサ材の筏「コンティキ号」で南米ペルーから太平洋を横断し、古代の人類が南米大陸から南太平洋の島々へと渡っていった可能性を、自らの体で証明しようとした冒険家として世界的に名を知られることになる。
今も彼の故郷ラルヴィクには、地元産のラルヴィカイトから彫り出された彼の胸像が置かれている。コンティキ号での101日間、約8000キロにおよぶ航海を成功させた彼は、その後もエジプトのパピルス船を模した「ラー号」でアフリカから大西洋を渡るなど、生涯にわたって人類の海洋移動の可能性を体当たりで検証し続けた。
オスロには今も彼の業績を伝えるコンティキ博物館があり、世界中から訪れる観光客を集めている。3億年近く前の火山活動によって生まれた石が、はるか後年、大海原を渡ることに生涯を捧げた一人の男の姿へと形を変えて、今もその生まれ故郷に立ち続けているのである。



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