「シベック」という名前は、スラブ語で「灰色」を意味する「シヴ(Siv)」に由来するとされる。風雨にさらされた峠の荒れた岩を指す言葉だった。しかしこの峠の地下深くには、世界でも最も純白とされる大理石が眠っていた。
地表の灰色の岩の下に、純白の石が隠れている。
名前と実体が裏腹な、皮肉な命名の物語がここにある。

2500年前から掘られていた
シベック大理石の採掘は紀元前500年、あるいはそれ以前まで遡ることができる。古代の住民がこの地域で大理石を切り出していた記録が残っている。
採掘が最盛期を迎えたのはローマ時代だ。古代都市スティベラ(現在のプリレプ)近郊の採石場は、ローマの彫刻のための石材を産出し、さらにギリシャのブロンズ彫刻の複製を作るためにも使われた。
これらの複製品はローマや帝国各地に送られた。紀元前3世紀から紀元後5世紀にかけて、シベックは東南ヨーロッパで広く利用された名石で、古代世界で最も視覚的に美しい作品のいくつかを生み出した。
この期間にプリレプ地域から採掘されたシベック・ホワイトは、推定120万立方メートルに及ぶ。
興味深いことに、ローマ時代の技術者たちはツルハシで岩のブロックの周囲に溝を彫り、レバーを使って石を割る手法を用いていた。
その痕跡は今も古代の採掘坑に残っている。彼らは比較的短い距離の高地の現場へ運ぶため、大きなブロックを切り出すことに長けていた。

カッラーラと間違われた、もうひとつの白い石
シベックの白い大理石は、古代の彫刻史において思いがけない役割を果たしていた。長年にわたり、ローマで発見された純白の彫刻の多くが「カッラーラ産」と鑑定されてきたが、近年の同位体分析によって、その一部が実はトルコのギョクテペ産、そして北マケドニアのシベック産だったことが明らかになっている。
研究者たちは「カッラーラとギョクテペの混同」が過去には一般的だったと指摘している。見た目が極めて似ている複数の白い大理石が、長きにわたって同一視されてきたのだ。
さらに、ペロポネソス半島沖の海底で発見されたローマ時代の沈没船から、細粒の白色ドロマイト質大理石のブロック2つが見つかっており、これがシベック産である可能性が研究者の間で議論されている。
もしこの船がシベック産の大理石を運んでいたとすれば、内陸の山岳地帯から切り出された石が、川を下り、海を渡って、地中海の彫刻工房まで運ばれていたことになる。
陸に閉ざされた北マケドニアの高地と、地中海の海上交易網が、ひとつの白い石でつながっていた可能性がある。

大理石の採石場から、ルビーが見つかる
シベックの採石場には、もうひとつの驚きがある。この大理石の鉱床から、ルビーの結晶が発見されることがあるのだ。
シベックの白いドロマイト質大理石には、コランダム(鋼玉)の結晶。
その赤い変種がルビーだ。
が含まれている。鉱物収集家の間では、大きく発達した、めったに完全な形で見つかるルビー結晶の産地として知られている。
紫外線を当てると、これらのルビーは見事な蛍光色を発する。
古代の人々がここで赤い宝石入りの装飾品を作っていたのではないか、と想像する研究者もいる。大理石を彫るための採石場が、同時に貴重な宝石の産地でもあった。
白い石の中に、赤い石が隠れていた。
ストビとヘラクレア・リンケスティスを彩った石
シベック産の大理石は、ローマ時代の北マケドニアの主要都市を飾った。
古代都市ストビでは、コリント式の柱頭(2世紀半ば)、フォルムの壁面を飾るフリーズ(1世紀末から2世紀初頭)、アーキトレーブなど、シベック大理石が記念碑的な公共建築に使われた記録が130件以上の碑文とともに確認されている。
ヘラクレア・リンケスティスでは、哲学者風の衣をまとった彫像が、ストゥィベラでは実物大の「大ヘルクラネウム女性像」型の彫刻が、シベックの大理石から作られた。
プリレプからは、皇帝の肖像を表す可能性のある甲冑姿の男性像も発見されている。これらの彫刻は、地中海世界の彫刻様式が、内陸の山岳地帯にまで深く浸透していたことを示している。
一方で、北マケドニア南部の低地、デミル・カピヤ峡谷以南の地域では、タソス産の大理石(第97話)が「デフォルトの白大理石」として好まれた。
アクシオス川(ヴァルダル川)を使えば比較的容易に輸入できたからだ。
シベックとタソス、二つの白い大理石が、地理的な条件によって異なる地域で使い分けられていた。
後期古代、コンスタンティノープルに匹敵する技術
後期古代(4〜6世紀頃)になると、シベック大理石は新たな段階に入った。地域の前例のない様式と品質で彫刻されるようになり、その出来栄えは、アナトリアのプロコネソス(コンスタンティノープル近郊)やドキミオンの採石場・工房の作品と区別がつかないほどになった。
内陸の山岳地帯の石工たちが、ビザンツ帝国の首都の最高水準の技術に匹敵する仕事をしていた。
これは地方の石材産業が、帝国の中心地に劣らぬ洗練を獲得していたことを示す、驚くべき事実だ。

政治に翻弄された20世紀
1946年、
ユーゴスラビア社会主義政権下で大理石産業が国有化された。
プリレプ近郊に組織的な採石作業が確立され、古代からの遺産が近代的な経済資産へと姿を変えた。
1960〜70年代、
ユーゴスラビア体制下で生産は大幅に拡大し、高品質な白大理石への世界的な需要に応えた。
1969年にはザグレブの専門機関による地質調査が行われ、20世紀末までに年間採掘量は約2万5000立方メートルに達した。
しかし1991年の北マケドニア独立とユーゴスラビア解体は、大理石産業に大きな試練をもたらした。
経済制裁と貿易禁輸措置が地域市場と物流網を混乱させた。
1990年代末、新生マケドニア国家は国有資産の民営化と、未開発のまま残された白大理石資源の開発競争を促す政策をとった。
現在、シベックの白と灰色の大理石は「アレクサンドリアン」「ポラリス」「シベック」など、複数のブランド名で販売されている。中国、インド、オーストラリアといった新興市場、そしてドバイの開発企業も、このプリレプ地域の採石権益に参入している。
古代ローマの彫刻家が愛した石を、21世紀の多国籍企業が掘り続けている。

灰色の名を持つ、世界で最も白い石のひとつ
シベックという名前は「灰色」を意味する。
しかしこの名を持つ大理石は、世界でも最も白く、最も純粋な大理石のひとつとされる。
地表の風化した岩の色と、地下に眠る石の実体が、まったく一致しない。
2500年前から掘られ、
ローマの彫刻家に愛され、
長くカッラーラと混同され、
ルビーを隠し持ち、
ビザンツの技術に匹敵する作品を生み、
20世紀の政治変動に翻弄され、
今は多国籍企業によって採掘されるシベック・ホワイトの物語は、
灰色の名前にはまったく似合わない、複雑で輝きに満ちた歴史だ。
峠を渡る風は、今日も岩肌を灰色に風化させ続けている。
その下で、白い石は静かに、変わらず、そこにある。
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