【大理石の物語 97】タソス・ホワイトと、金を探して大理石を見つけた人々

世界で最も白い大理石
光の反射率は最大98%に達するとされ、雪のような純白の輝きを持つ。
タソス・ホワイトは、エーゲ海北部に浮かぶ小さな島、タソス島でのみ採掘される。
3000年以上にわたって、この島の白い大理石は古代の神殿から現代の高級住宅まで、世界中を飾り続けている。

しかしこの石を最初に見つけた人々は、大理石を探していたわけではなかった。

金を求めてやってきたフェニキア人


紀元前680年頃、
貿易の民として知られるフェニキア人がタソス島に上陸した。
彼らの目的は金だった。
タソス島には金鉱山があり、その採掘を求めてフェニキア人が海を渡ってきた。

しかし金を探して島を掘り進めるうちに、フェニキア人は別の宝に気づいた。島の南端に、圧倒的に美しい白い大理石が眠っていたのだ。
フェニキア人はすでに地中海全域に広がる海上交易網を持っていた。その交易ルートを使って、タソスの大理石は瞬く間に地中海世界の権力者たちのもとへ届けられるようになった。

金を探して、大理石を見つける。
目的と発見がすれ違う、人類の探索の歴史によくあるパターンが、ここでも起きていた。

最初は「灰色の島」だった


興味深いことに、タソス島は当初、白い大理石ではなく灰色の大理石の産地として知られていた。
紀元前7世紀に採掘が始まった当初の主力は灰色の石だった。後になって、島のさらに深い場所から純白の大理石が発見され、評価されるようになった。

紀元前7世紀から採掘が始まったタソスの大理石は、紀元前6世紀には古代ギリシャ建築に不可欠な素材になっていた。
アテネのアクロポリス、デルフィのアポロン神殿。ギリシャ世界の最も神聖な建造物に、タソスの石が使われた。

ギリシャ人がこの石を愛した最大の理由は「光」だった。
エーゲ海の強烈な太陽光を浴びると、純白の表面が眩しく輝き、神殿を神々しく照らした。
光を87%も反射するという驚異的な特性。
カッラーラの大理石(光反射率65%程度)を大きく上回るその輝きが、神々の住まいにふさわしい素材として選ばれた理由だった。
アポロン神殿

海に沈んだ採石場、アリキの遺跡


タソス島南端のアリキ半島に、1200年以上にわたって稼働し続けた採石場の遺跡がある。

アリキ採石場での大理石採掘は紀元前7世紀に始まり、紀元7世紀末、スラブ人によるギリシャ侵入の時代まで、実に1200年以上にわたって絶えることなく続いた。
海岸沿いに位置するこの採石場の最大の利点は、切り出した石をそのまま船に積み込めることだった。山中の採石場から港まで石を運ぶ手間が要らない。古代の物流における合理的な選択だった。

採掘作業には何百人もの大工、鍛冶屋、彫刻家、労働者が必要だった。
長い期間、この労働力の多くは奴隷、戦争捕虜、終身刑を宣告された犯罪者によって担われていた。
彼らは石を切り、彫り、巻き上げ機とドラムを使って船に積み込み、地中海全域へと送り出した。

採石場の周囲には、何百もの見張り塔の遺構が今も残っている。これらは強制労働者を監視するためだけでなく、海賊や盗賊から労働者と大理石そのものを守るためにも使われた。

今日、アリキ採石場の遺跡は半分海に浸かった状態で残っている。未完成のまま放置された彫像、柱、巨大な石のブロックが、採石場と浅い海の中に今も見ることができる。
職人がノミを入れる途中で何らかの理由、欠陥の発見、注文の変更、あるいは戦乱によって作業を止めた跡が、2000年以上の時を超えてそのまま残されている。
タソスホワイト 採石場

神々の肉体を彫るための学校


タソス島には、独自の彫刻学校が設立されるほど芸術が栄えていた。きめ細かく美しい結晶構造を持つタソスの大理石は、神々の肉体を表現するのに最も適した素材とされた。

タソス派の彫刻家たちは、人体と神の姿を表現する技術に長けていた。彼らの作品の多くは今も博物館に収められ、その技術の高さを物語っている。
タソス島で彫られた古代劇場は、地元の大理石で建てられ、優れた音響効果を持つことで知られる。今日訪れる人々は、2000年以上前の石がいかに見事に持続しているかを目にすることができる。

ローマ帝国が求めた、タソスの石棺


ローマ帝国の時代、タソスの大理石は新たな需要を生み出した。石棺だ。

テッサロニキで出土したローマ時代の石棺を科学的に分析した研究によれば、テッサロニキで作られた石棺の大部分がタソス産の大理石、特にアリキ産の方灰岩質大理石が使われていたことが判明している。

アリキの採石場は、マケドニアの首都(テッサロニキ)からの特別注文に応じて、ローマの尺(29.42センチ)を基準とした寸法の石棺を製作していた。地元市場向けには、別の現地の尺(32.53センチ)を使った石棺が作られた。
同じ採石場が、輸出用と地元用で異なる規格を使い分けていたのだ。

イタリアのオスティアとシラクサで発見された石棺も、同位体分析によってタソス島アリキ産であることが確認されている。
オスティアの石棺は3世紀のもの、シラクサの石棺は590〜620年頃のもので、キリスト教の装飾が施されている。
タソスの大理石が、ローマ帝国の最盛期から東ローマ帝国の時代まで、長期にわたって地中海を渡り続けたことを示している。

アポロン神殿と、消えた王国


アリキ半島にはもうひとつの歴史が眠っている。古代、ここには「アリキ王国」と呼ばれる、人口の多い大きな港を持つ国があったと伝えられている。

紀元前7世紀、半島の東岸にアポロン神への聖域が築かれた。1896年には保存状態の良い「クーロス」(古代ギリシャの裸の青年立像)がここで発見され、現在はイスタンブール考古学博物館に収蔵されている。さらに高台には、5世紀に建てられた二つの初期キリスト教バシリカの遺構も残る。多くの船乗りがこの聖域を訪れた。彼らは大理石を運ぶためにこの島を行き来していたからだ。

採石場と神殿と港町が、ひとつの半島に重なっている。大理石を運ぶ船乗りたちの信仰の場所が、同時に大理石を切り出す場所でもあった。

現代のタソス・ホワイト


現代の採掘技術はダイヤモンドワイヤーソーやチェーンカッターを使い、20トンに及ぶ巨大なブロックを切り出す。水を使った冷却とリサイクルシステムが導入され、環境負荷を抑える工夫も進んでいる。

今日ギリシャには265か所の大理石採石場があり、タソス島はその中でも最も知られた産地だ。タソス・スノーホワイト(最も純粋な品種)、タソス・ゴールデン・ラディックス(金色から青銅色の脈が木の根のように走る品種)、タソス・ヴェイン(淡い脈が入る品種)。同じ島から、異なる個性を持つ大理石が産出される。

ドバイの高級ホテル、ニューヨークの高級ブティック、タソスの白は今日も世界中の贅沢な空間を照らしている。フェニキア人が金を探して見つけたこの石は、3000年以上の時を経て、今も人々を魅了し続けている。
タソスホワイト スラブ材

探していたものと、見つけたもの


フェニキア人は金を探していた。彼らが本当に見つけたのは、金よりもずっと長く価値を持ち続けるものだった。

金は溶かされ、貨幣になり、消費されて消えていく。しかしタソスの大理石は、3000年前に切り出された石棺が今も博物館に残り、2000年前の劇場が今も音響効果を保ち、1200年間掘り続けられた採石場の跡が今も海の中に眠っている。

フェニキア人が金鉱山を求めてこの島に来なければ、世界で最も白い大理石は、もっと長い間、誰にも知られないままだったかもしれない。

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