【大理石の物語 99】バルカン・ホワイトと、女神が見守る採石場

バルカン・ホワイト
ほのかに白濁したベース地に、淡い斑紋様がうっすらと流れる大理石。採掘するのは「アルテミス採石場」という名を持つ場所だ。狩猟と月の女神アルテミスの名を冠した採石場。その名前の由来は、商業的な思いつきではない。タソス島の古代史そのものに根ざしている。

産地はギリシャ北東部、東マケドニア・トラキア地方のタソス県。前話(第97話)で書いたタソス・ホワイトと同じ島から採れる、もう一つの白い大理石だ。
同じ島の地下に、いくつもの「白」が眠っている。
バルカンホワイト 採石場

リメナス四つの神々が住む町


タソス島の古代都市の中心、リメナス(現在の島の主要都市でもある)には、複数の神々への聖域が築かれていた。
アゴラ(古代の市場)の周辺には、英雄ヘラクレス、酒と豊穣の神ディオニュソス、狩猟と月の女神アルテミス、そして海の神ポセイドンへの聖域が点在していた。

アクロポリス(城の丘)に登れば、町と湾を見下ろす絶景の中に、古代劇場の遺構、アポロン神殿とアテナ神殿の跡、そしてパン神への聖域が残っている。
リメナスを取り囲むようにそびえる城壁は、高さ9メートルに達し、輝くような白いタソス産大理石でほぼ造られている。あまりに精密に積み上げられたその石壁は、今日でもクレジットカードを差し込む隙間さえないと言われる。

アルテミス神への信仰が、この島の古代都市に確かに存在していた。その記憶が、21世紀の採石場の名前に、静かに刻み込まれている。
バルカンホワイト スラブ材

島が二度、城壁を壊された歴史


タソス島は古代、独立した強力な都市国家として地中海貿易で栄えた。しかしその繁栄は、何度も大国の圧力にさらされた。

ペルシャ王ダレイオスは、タソスの強さを自国の国境への脅威と見なし、島民に海軍の全面引き渡しと要塞の一部解体を強制した。
紀元前480年、サラミスの海戦でペルシャがギリシャに敗れると、タソス人は要塞を再建し、海軍も立て直した。

その後タソスはアテナイ主導の同盟に加わったが、紀元前465年、重税に反発して同盟を脱退した。
アテナイはこの離反を許さず、島を攻撃。2年に及ぶ包囲の末、タソスは降伏した。
再びアルテミスの聖域を含む城の周囲の城壁が、部分的に破壊された。

城壁が壊されるたびに、島は森の木材と、城を取り囲む白い大理石で、再びそれを築き直した。アルテミス採石場が産する白い石は、ある意味で、この島が幾度となく自らを再建してきた歴史の延長線上にある。

アリキとは別の場所から


第97話で書いたアリキ採石場は、島の南端、海岸沿いに位置し、紀元前7世紀から7世紀末まで1200年以上稼働した古代の採石場だった。
しかし現代のタソス産大理石の採掘地は、島の北部、パナギア村周辺に移っている。

アルテミス採石場も、この北部エリアの採石場群のひとつだ。タソス島には現在、約10か所の稼働中の採石場がある。ギリシャの他地域では中央政府が採掘権を管理するのに対し、タソス島では島の自治体(市議会)が採掘権を管理している。
これは島が古代から保ち続けてきた、ある種の自治の伝統を思わせる。

タソス産の大理石は鉱物学的にドロマイト(白雲石)を主成分とし、わずかにカルサイト(方解石)を含む。
バルカン・ホワイトはその中でも、ほのかな白濁と淡い斑紋様を特徴とする品種だ。同じ採石場から切り出される石でも、加工方法によって表面に現れる模様は変わる。
板目加工では雲のような淡い模様が、柾目加工では流れるようなライン柄が現れる。同じ石が、切り方によって異なる表情を見せる。

大型施設のための石


バルカン・ホワイトは原石のサイズが大きく、色調も均一に揃いやすい石種だ。そのため、ビルや大型施設の壁面に適している。
ブルーがかった淡い白という落ち着いた色調が、柔らかな雰囲気の空間を演出する。

日本国内では、住宅併設の商業施設やオフィスビルの壁面に使われることが多い。タソス・ホワイト(第97話)が高級ホテルや美術館など「際立つ白さ」を求める場面で選ばれるのに対し、バルカン・ホワイトはより落ち着いた、控えめな白さで空間を満たす。
同じ島の白い大理石でも、用途によって役割が分かれている。

古代の名前が呼んだ別名たち


タソス島には、長い歴史の中でいくつもの名前が与えられてきた。アエリア(涼しい夏の風)、アエトリア(澄んだ青い空)、クリシア(金)そして最終的に定着したのが、特に意味を持たない「タソス」という名前だった。

島の名前は意味を失ったが、島の中の場所の名前、アルテミスの聖域、アリキ(古名アルキ、「力」を意味する)は、今も生き続けている。採石場の名前として、企業のブランド名として、人々の記憶の奥底で。

バルカン・ホワイトという石を切り出す採石場に、なぜアルテミスの名がついているのか。正確な経緯を語る記録は残っていない。しかしこの島の古代都市に、確かにアルテミスへの信仰があった。その遠い記憶が、現代の採石業者によって、意図的にか、あるいは偶然に、呼び戻された。

月の女神が見守る、白い石


アルテミスは狩猟の女神であり、月の女神であり、野生の自然を司る存在だ。彼女の名を持つ採石場から切り出される石が、人間の住まいや職場の壁を、静かな白で覆っている。

古代の神々の聖域は崩れ、城壁は何度も壊され、再建された。しかし島の地下に眠る白い石は、変わらずそこにあり続けた。今日も山は削られ、石は切り出され、世界中の建物の壁になっていく。

女神の名を持つ採石場の石が、誰かのオフィスビルの壁に、静かな白さで光を受けている。

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