透明感のある白を地にして、淡い灰色が、輪郭を持たないまま、ぼんやりと滲み広がっている。白大理石の定番ビアンコ・カララが、白地に灰色の筋をきりりと流して見せるのに対し、この石の灰色には、はっきりした線がない。塊とも雲ともつかないものが、地の白のなかへ、音もなくほどけていく。イタリア生まれの大理石、ビアンコ・ブロイエである。
その「ほどけ」こそが、この石の名の正体だ。

曇りという名
ブロイエ ( Brouillé )は、フランス語である。
動詞 brouiller の過去分詞で、意味は「ぼかす」「濁す」「かき混ぜる」、そして「霧や雲で覆う」。
ひとことで言えば、輪郭をあいまいにする、という語だ。
考えてみれば、奇妙な話ではある。この石は、地質の上ではビアンコ・カララと同じ山、同じ丁場から採れる白大理石で、別名を「ビアンコ・カラーラ・ブルイレC」という。世界でもっとも名高い白大理石カララの、紛れもない一族の一員でありながら、この石だけが、イタリア語ではなくフランス語の名を負って、私たちのところへやってくる。
霧の一族
brouiller から枝分かれした言葉を並べてみると、この石が何を名づけられたのかが、はっきりと見えてくる。
brouillard は、「霧」。
se brouiller は、空が曇ること、人と人が仲違いすること。
brouillon は、まだ形の定まらない下書き。
œufs brouillés は、かき混ぜてほぐした卵、スクランブルエッグ。
どれも共通しているのは、輪郭がほどけていくことだ。
さらに語源をさかのぼれば、俗ラテン語の brodium、「煮汁」「ごった煮」にまで行き着く。
つまり brouillé とは ―― 霧、曇り空、書きかけの下書き、ほぐした卵、ごった煮 、「くっきりした輪郭を失っていくもの」を、まとめて一つに束ねた名前なのである。
ビアンコ・ブロイエは、その名のとおり、白のなかに輪郭を溶かしている石だ。

名と目が、言葉を越えて出会う
面白いのは、ここからである。
日本の石材屋がこの石を説明する言葉を並べてみると、判で押したように、空と雲と海の比喩ばかりが出てくる。曰く、薄曇りの空に、たくさんの羊雲が浮かぶよう。曰く、見上げる曇り空にも、高い山から見下ろす雲海にも見える。曰く、極寒の海に浮かぶ、数々の流氷のよう、と。
その誰一人、brouilléがフランス語で「曇り」を意味するとは書いていない。それでも、石を前にした目は、ひとりでに曇り空を見出し、雲を、流氷を、そこに読み取っている。
名と目は、言葉の壁を越えて、同じ空を見ていた。
これは曇り空の白大理石なのだ、と、名も目も、互いに証言し合っているのだ。

白の階調
白い大理石には、白さの序列がある。
ビアンコ・カララは、産地で A・B・C・CD・D と格付けされる。柄のほとんどない純白の A・B は数が少なく、多くは彫刻用に取り置かれて、日本にはまず入ってこない。ミケランジェロがダビデ像を刻み出したのも、この極上の白だった。市場に回ってくるのは C や CD、そして灰色が勝ってくると D になる。白ければ白いほど、位が高い。 それが、この石をめぐる値の掟である。
ビアンコ・ブロイエは、その一族にあって、あえて「曇り」を引き受けた石だ。
別名がそのまま「ビアンコ・カラーラ・ブルイレC」であることが、それを物語っている。
澄んだ白を最上とする序列のただなかで、しかし、いちばん雲を宿したこの石が、いちばん豊かな空を見せる。値としての白さと、景色としての白さは、いつも同じ方角を向いているとはかぎらない。
ダビデの、一点の曇りもない純白。その対岸に、この曇り空の白は立っている。
仲違いの白
brouiller には、もう一つ、静かな意味がある。
se brouiller avec quelqu’un 「人と仲違いする」。
親しかった二人のあいだに、いつからか霧がかかり、互いの姿が少しずつ見えなくなっていくこと。
フランス語は、その関係のほどけをも、この一語で言い表す。
霧、曇り空、書きかけの下書き、ほぐした卵、そして人と人の仲違い。
brouiller の一族が名指しているのは、どれも「くっきりしていたものが、輪郭をほどいていく」その瞬間である。
ビアンコ・ブロイエは、その名を負って、白のなかに輪郭を溶かし続けている。
澄んで、くっきりしていることだけが、白の値打ちではない。この石の前に立てば、滲んだ灰色は白の欠けではなく、一枚の空として立ちあがってくる。輪郭がほどけていくことの、静かな美しさ。
ビアンコ・ブロイエは、「曇り」という名を持つことで、かえって、澄みきった白には決して映せない景色を、 雲を、霧を、うつろってやまない空を、その一枚の石のなかに、そっと宿している。



















