ミケランジェロ・ブオナローティ、22歳。
フランス人枢機卿ジャン・ド・ビレール=ラグロラから、サン・ピエトロ大聖堂のための「ピエタ」制作を依頼されたばかりだった。
彫刻の素材を求めて、彼が向かったのはカッラーラ。
アプアン・アルプスの白い山だった。
灰色の馬に乗った青年が、その後の500年を変える石を探しに行った。

白い山との出会い
カッラーラのアプアン・アルプスに近づくと、山頂が白く輝いているのが見える。
遠くからは雪のように見えるが、近づくにつれてそれが大理石の断崖であることがわかる。
採石場の粉塵で山全体が白く染まり、真夏でも「雪山」のように見える。
この光景に初めて接した人間は、今日も驚く。
ミケランジェロも同じ光景を見た。そして山に惹き込まれた。
彼が最初に訪れたのはポルヴァッチョ採石場だ。
そこで地元の石工マッテオ・クッカレッロと契約を結び、ピエタのための大理石ブロックを注文した。
石工は快く引き受けたが、季節はすでに晩秋。
採石場の作業が難しくなる時期に差し掛かっていた。
しかしミケランジェロには時間がなかった。
枢機卿との契約は翌年の完成を定めていた。
結局ピエタは1499年に完成した。
サン・ピエトロ大聖堂に安置されたその作品を見て、誰もが感嘆した。
しかし当初、誰もミケランジェロの作だと信じなかった。
あまりにも完璧すぎた。
噂が流れた。
「あれはミケランジェロの作ではない」。
怒った青年は夜中に大聖堂に忍び込み、聖母マリアの胸帯にノミで自分の名前を刻んだ。
現存する彼の彫刻の中で、署名が入っているのはピエタだけだ。



カッラーラに住み込んだ彫刻家
ミケランジェロはその後も繰り返しカッラーラを訪れた。
1503年、1505年、1516年、石を選ぶために、彼は何度もこの山へ戻ってきた。
1505年の滞在は8か月に及んだ。
ユリウス2世の霊廟制作のためだった。
ミケランジェロはカッラーラの石工たちとともに山に入り、自ら石の品質を確かめ、脈の走り方を見て、光の当たり方で内部の欠陥を判断した。
必要なブロックのサイズと形を石工に指示し、輸送の段取りまで自分で行った。
彼にとってカッラーラは単なる仕入れ先ではなく、制作の出発点だった。
カッラーラの広場には、今もミケランジェロが滞在した家の跡に彼の胸像と石板が残っている。
「ミケランジェロはここに住み、ここで石を選んだ」
その事実を、街は500年後の今も誇りにしている。
カッラーラとの「別れ」、そして戻ってきた理由
しかしミケランジェロとカッラーラの関係は、常に穏やかではなかった。
1516年、教皇レオ10世(メディチ家出身)の命で、ミケランジェロはフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂のファサード制作に取りかかった。
教皇はカッラーラではなく、メディチ家が所有するセラヴェッツァの採石場の石を使うよう命じた。
ミケランジェロは渋々従った。
しかし問題が続出した。
セラヴェッツァの採石場は「処女地」で、道路すら整備されていない。
石の品質はカッラーラに及ばない。
納期は遅れに遅れた。
そしてカッラーラの石工たちが腹を立て、すでに切り出したブロックの海上輸送をボイコットした。
ミケランジェロが他の産地に乗り換えたことへの報復だった。
1518年4月18日、ミケランジェロはピエトラサンタから兄ブオナロートに手紙を書いた。
「私は絶望的な状況にある。馬に乗って枢機卿と教皇に会いに行き、カッラーラに戻ると告げるつもりだ。カッラーラの石工たちは私が戻ってくれるよう祈っている」。
カッラーラの石工たちが祈っていた。
ミケランジェロが戻ってきてくれるよう。
それはつまり、世界最高の彫刻家を顧客に持つことの意味を、石工たちが十分に理解していたということだ。
ダビデ、モーセ、そしてカッラーラ
ミケランジェロの代表作を並べると、それはそのままカッラーラの石の行き先リストになる。
ピエタ(1499年、サン・ピエトロ大聖堂)。
ダビデ(1504年、フィレンツェ)。
システィーナ礼拝堂天井画のための足場(1508〜1512年)。
モーセ(1515年頃、ローマ)。
メディチ家礼拝堂の彫刻群(1520年代)。
ロンダニーニのピエタ(1564年、未完)。
これらすべてにビアンコカララが使われた。
ダビデを彫った石は、もともと別の彫刻家が途中まで手をつけて放棄した「傷物のブロック」だったとされる。
40年近く野ざらしにされていたそのブロックを、26歳のミケランジェロが引き受けた。
そして3年後、5.17メートルの完璧な人体が現れた。
石の中にすでに像があった。
自分はただそれを解放するだけだ、とミケランジェロは言ったとされる。
カッラーラの白い石の中に、彼には何かが見えていた。
2000年続く、白い山
ビアンコカララの採掘はローマ時代に始まり、2000年以上続いている。
パンテオン、トラヤヌス帝の記念柱、ポンペイの神殿、ローマ帝国の栄光もこの山から来た。
そしてミケランジェロが来て、ルネサンスの頂点もこの山から来た。
山は今も白い。
今日も採石が続き、機械が山を削り、大理石のブロックが世界へ旅立っている。
ミケランジェロが馬で来た道を、今日はトラックが走る。
白い山は何も変わらない。
ただ削られ続けている。
その削られた石が、500年前はピエタになり、ダビデになった。
今日はどこかの床になり、壁になり、カウンターになる。 石の行き先は変わった。しかし山は同じだ。


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