【大理石の物語 15】アラベスカート・コルキアと、 建築家が石を選ぶ瞬間

建築家が一枚の石の前に立つ瞬間がある。図面の上ではただの「白い大理石」でしかなかったものが、実物のスラブとして目の前に置かれたとき、そこに走る模様の唯一無二さに、選ぶ側の呼吸が一瞬止まる。

イタリアで切り出される大理石の中には、そうした瞬間のためにあるような、「アラベスカート」と名のつく石が数種存在する。

アラベスカートの名前の由来


「アラベスカート」とはイタリア語で「アラベスク文様の」という意味だ。アラベスクとは、イスラム美術に見られる、幾何学模様や蔓草文様が絶え間なく反復・展開していく装飾様式のこと。
偶像を描くことを避けたイスラム文化圏では、生き物の姿を描く代わりに、植物の蔓や幾何学図形を無限に組み合わせる文様表現が独自に発達した。モスクの壁面装飾やイスラム写本の縁取りなどに多用されたこの様式は、十字軍や地中海交易を通じてヨーロッパにも伝わり、やがて建築や工芸のモチーフとしても取り入れられていく。

石の中に浮かぶ、灰色や黒の脈が白い地の上で複雑に枝分かれし、渦を巻きながら広がっていく様子が、まさにこのアラベスク文様を思わせたからだと言われている。
中世以来、地中海を挟んだイスラム世界とイタリアの商業都市とのあいだには、絶え間ない交易と文化の往来があった。石の名前一つにも、その記憶が刻まれている。
アラベスカートコルキア スラブ材
アラベスカートコルキア。白地にグレーのアラベスク模様が流れる。同じ柄は二枚として存在しない。

アラベスカート・コルキアと、山の中の巨大な空洞


「アラベスカート」と名のつく大理石は、実は一種類ではない。トスカーナ州、アプアン・アルプス山脈の複数の採石地区それぞれから、表情の異なる「アラベスカート」が切り出されている。アラベスカート・ヴァリのように線状の脈が繊細に走るものもあれば、アラベスカート・コルキアのように、より丸みを帯びた大胆な脈を見せるものもある。その中でもひときわ劇的な柄を持つのが、コルキア山から切り出される「アラベスカート・コルキア」だ。

白く輝く地の中に、黒や濃い灰色の脈が丸みを帯びながら渦巻き、まるで蜂の巣のような有機的な文様を描き出す。角礫岩(ブレッチャ)に分類されるこの石は、砕けた岩の破片が自然のセメントによって再び結びつき、長い年月をかけて一つの石として固まったものだ。
他のアラベスカートに比べても、脈の丸みと躍動感が強く、一枚の石の中に「向き」や「流れ」を感じさせる主役の脈がない。全方位から見ても破綻しない連続的な文様であることも特徴の一つだ。

建築家がフィーチャーウォールやキッチンアイランドの中心に据えたがる理由も、四方どこから見ても様になる、この一枚で完結する劇的な柄にある。高級住宅やホテルのロビーで、あえて一枚の巨大なスラブを継ぎ目なく見せる「ブックマッチ」という手法が好まれるのも、この石ならではの贅沢な使い方だ。左右対称に開いた二枚のスラブを鏡合わせに配置すると、渦を巻く脈が蝶の羽のように左右対称に広がり、まるで一枚の抽象画のような壁面が生まれる。
アラベスカートコルキア ブックマッチ
このコルキア山には、もう一つ驚くべき素顔がある。山の内部には、ヨーロッパでも屈指の規模を誇る鍾乳洞「アントロ・デル・コルキア」が広がっているのだ。総延長は60キロから80キロとも言われ、深さは1200メートルに達する、イタリア国内でも最大級かつ最深級の鍾乳洞として知られている。
発見の経緯も興味深い。19世紀、大理石の新しい鉱脈を探していた石工が、地面の小さな穴から風が吹き出しているのに気づいたことがきっかけだったという。石を求めて山を掘り進めていた人間が、思いがけず山そのものの内部に眠る巨大な空洞を掘り当てた。
長らく一部の洞窟愛好家だけが知る秘境だったが、2001年に観光ルートとして整備され、鍾乳石や石筍、洞窟真珠と呼ばれる球状の鉱物が織りなす地下の聖堂を、今では多くの人が訪れている。科学者たちはこの洞窟内の岩石を分析し、アプアン・アルプスが海底から隆起した数百万年前まで遡る、地球の気候変動の記録すら読み取っているという。
石を切り出す営みが、まったく別の自然の驚異と出会う。そんな土地の重なりが、コルキア山にはある。
アントロ・デル・コルキア観光洞窟

アラベスカート・オロビコ・レッドと、氾濫する川


同じ「アラベスカート」の名を持ちながら、トスカーナから遠く離れたロンバルディア州ベルガモ県で切り出される石もある。「アラベスカート・オロビコ・レッド」だ。
産地であるサン・ジョバンニ・ビアンコの町の中心を、アルプスに源流を持つブレンボ川が流れている。この川は歴史上何度も氾濫を繰り返してきた暴れ川で、雪解け水や豪雨のたびに水位が急激に上昇し、川沿いの集落に深刻な被害をもたらしてきた。そのため町には、洪水にも耐えられるようにと築かれた石造りの頑丈な古い家々が今も残っており、狭く曲がりくねった路地の石畳や石積みの壁からは、川と共存しながら暮らしてきた住民たちの知恵がうかがえる。

ちなみに、このブレンボという名前は、自動車やオートバイ用の高性能ブレーキを製造するイタリアの有名企業にも使われている。同社はまさにこのブレンボ川流域を拠点に創業した。幾度も氾濫してきた川の流れを止める、という土地の記憶になぞらえて社名が選ばれたとも言われており、川の名前が、まったく異なる分野で「止める力」の象徴として引き継がれているのは面白い符合である。
世界中のレーシングカーやスーパーカーが搭載する高性能ブレーキの名前をたどっていくと、この石の産地と同じ、暴れ川の名前に行き着くというわけだ。

赤や灰色が激しく入り混じるこの石の模様を眺めていると、幾度も氾濫を繰り返してきたブレンボ川の激流さえ思い起こさせる。
アラベスカート・オロビコ レッド 原石
アラベスカート・オロビコ レッド スラブ材

アラベスカート・オロビコ・グレーと、山あいの村が生んだ郵便網


同じベルガモ県の山間、州都ミラノから北東へおよそ70キロのカメラータ・コルネッロという小さな町では、「アラベスカート・オロビコ・グレー」が切り出されている。
風光明媚な景観からイタリアの「最も美しい村」の一つにも数えられるこの町は、実は現代社会の基盤の一つ、郵便制度を生み出した一族の故郷でもある。

その名はタッソ家という。13世紀、この地に一族の祖オモデオ・タッソが居を構え、ヴェネツィア共和国(セレニッシマ)のための郵便配達組織を興したのが始まりだった。
もともとベルガモの町に近い場所に暮らしていた一族だったが、街の政争(教皇派グエルフィと皇帝派ギベリンの対立)に巻き込まれることを避け、より奥まったコルネッロの地へ移り住んだのが起こりだったという。
15世紀にはローマ教皇の郵便も任され、さらにチロル地方の郵便契約も獲得し、街道沿いに馬を乗り継ぐための中継駅を整備することで、通信の遅延を防ぐ仕組みを作り上げていった。
その後一族は神聖ローマ帝国全土をカバーする「帝国郵便」を数百年にわたり運営する存在にまで成長する。
皇帝はその働きに対し、家紋に帝国の鷲の意匠を用いることを許したと伝えられ、その紋章は今も村の壁面に描かれている。
のちに「トゥルン・ウント・タクシス家」として知られるようになるこの一族こそ、ヨーロッパにおける近代郵便制度の生みの親だ。
郵便馬車が税収や貴重品を運んだことに由来して、英語の「タクシー(taxi)」という単語自体がこの一族の名前(タッソ、ラテン語でタクシス)から来ているという説もある。ルネサンス期の大詩人トルクァート・タッソ(叙事詩『エルサレム解放』の作者)も、同じ一族の血を引いている。

村へ至る道は今も舗装されておらず、古い商人道「ヴィア・メルカトルム」を徒歩で辿るしかない。
この道は、かつて谷から山を越えてスイスやドイツの都市や市へと向かう商人たちが実際に歩いた交易路で、車の入れないこの小さな集落には人口わずか30人ほどが暮らしているという。

「タッソ家と郵便史博物館」には、かつて郵便配達人が到着を告げるために吹き鳴らした角笛、今日でも世界中の郵便マークに残るモチーフや、世界初の切手として知られる「ペニー・ブラック」を貼った郵便物なども展示されている。かつて村の中心にそびえていたタッソ家の壮麗な邸宅は老朽化のため取り壊されてしまったが、川べりに直接建てられた家々や、木造の天井を持つアーケード状の商店街の跡など、往時の交易拠点としての面影は今も色濃く残っている。
時が止まったような山あいの村から、遠くヨーロッパ中に情報を届ける仕組みが生まれていた、というのは、なんとも壮大な話である。
タッソ・郵便史博物館
タッソ・郵便史博物館
アラベスカート・オロビコ グレー 原石
アラベスカート・オロビコ グレー スラブ材

アラベスカートについて詳しく見る

▶ アラベスカート・コルキアとは(いしらべ)

▶ アラベスカート・オロビコ・レッドとは(いしらべ)

▶ アラベスカート・オロビコ・グレーとは(いしらべ)

▶ アラベスカート・コルキアの商品を見る(建材ネット)

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