【大理石の物語 53】退役軍人が掘った峡谷の、深緑の石、台湾蛇紋という石

「大理石渓谷」と呼ばれる峡谷がある。

台湾東部、花蓮県。
フィリピン海プレートとユーラシアプレートが衝突し続けるこの島の東海岸に、タロコ峡谷がある。
19キロにわたって続く峡谷の壁は、高さ1000メートルを超える大理石の断崖だ。

立霧渓が数百万年かけて大理石を削り続け、この渓谷を刻んだ。
台湾を代表する絶景のひとつとして、毎年数百万人の観光客が訪れる。

その峡谷を形作る大理石の地層から、台湾蛇紋が採れる。
エンプレス・グリーン、ヴェルデ・オリエンタル、花蓮翡翠とも呼ばれるこの深緑の石は、花蓮県の山岳地帯に広がる蛇紋岩系の石灰岩だ。
深みのある濃緑色に、白と黒の網目状の脈が走る。
磨き上げると、深い森の奥を覗き込むような光沢が生まれる。

この石の歴史は、台湾近代史そのものと重なっている。
台湾蛇紋 スラブ材

タロコという名前の意味


タロコ、漢字では「太魯閣」と書く。
この地に古くから暮らすトゥルク族の言葉で「偉大で壮麗な人間」を意味する。
トゥルク族は3000年以上前からこの渓谷を故郷とし、狩猟と精霊信仰の地として大切にしてきた。

17世紀にナントウ地区(現在の日月潭近く)から移住してきたトゥルク族は、峡谷の険しい地形を天然の要塞として利用した。
幅30センチの細い山道「トゥピド族の道」を伝って峡谷の奥深くに村を作り、長く外部との接触を断って暮らした。

しかし1914年、日本軍がこの地を「平定」しようとトゥピド族の集落を攻撃し、虐殺した。
1917年には日本軍がその細い山道を幅1.5メートルに拡張し、原住民に荷物を運ばせた。

それが今の「錐麓古道」の原型だ。
日本は1937年にこの地域を国立公園に指定し、1945年の終戦と同時に中華民国政府が引き継いだ。

石が削り出された峡谷には、そういう歴史が積み重なっている。

212人が死んだ道路建設


1949年。
中国大陸で国共内戦に敗れた蒋介石率いる中華民国政府が台湾に撤退した。
約120万人の兵士と民間人が海を渡ってきた。
問題は、これだけの人々の雇用をどう作るかだった。

1956年7月7日。
その解決策のひとつとして、台湾東西を結ぶ「中部横貫公路(中横)」の建設が始まった。
タロコ峡谷を貫き、中央山脈を越えて台中と花蓮を結ぶ、全長190キロの道路だ。
設計上の難易度は桁外れで、多くの区間が垂直に切り立った大理石の崖に張り付くように作られている。

建設に従事したのは主に退役軍人だった。
毎日5000人が現場に入り、ダイナマイトで岩を爆破し、手作業でくずを取り除き、断崖に道を刻み込んだ。
工事は1960年5月9日に完成した。

その間に、212人が命を落とした。
落石に打たれ、崖から転落し、崩落に巻き込まれ、川に流された。
峡谷内の「長春祠(永遠の春の祠)」は、その212人の霊を祀るために建てられた。
赤い壁と白い滝が大理石の崖に映えるこの祠は、今も峡谷を訪れる人々が手を合わせる場所だ。

採石場は退役軍人の「就職先」として始まった


1960年、中横が完成した。
しかし工事が終われば、労働者たちの仕事がなくなる。

翌1961年3月、中華民国政府の退役軍人就職支援機関(VACRS)は「花蓮大理石採石場」を設立した。
中横建設の退役軍人たちに新たな仕事を与えるためだ。
100人の採石労働者と50人の職人——全員が退役軍人だった。

当初の目的は石灰石としての化学用途。セメント、肥料、炭化カルシウムの原料だった。
しかし外国人観光客が台湾の大理石工芸品に興味を示し始めると、採石場は路線を転換した。
花瓶、皿、置物、大理石の土産物が作られ始めた。

競争力は価格だった。
1960年代のアメリカ市場で、イタリア製大理石灰皿は30ドルだった。台湾製は4ドル、本国では2ドルで売られていた。
退役軍人の低賃金が、台湾の石材産業を国際市場に押し上げた。

台湾蛇紋、最後の一社


台湾の大理石産業は1970〜80年代に最盛期を迎えた。
120か所を超える採石場が花蓮県に集まり、世界最大規模の大理石産地のひとつとなった。
しかしその後、人件費の上昇と輸入品との競争で産業は縮小し、特に蛇紋岩系の台湾蛇紋を生産するメーカーは次々と撤退した。

今日、台湾蛇紋を生産するメーカーは花蓮の三台石材と、その加工子会社の高陽億の一社だけが残っている。

その会社の娘が、クレア・チャンだ。
採石一族の子として育ち、子供の頃は工場の石くずの山が遊び場だった。
石は「当たり前のもの」だった。
イギリスへ留学し、帰国して初めて気づいた.
台湾蛇紋は世界に類を見ない、この島だけの石であることを。

2019年、クレアは台湾蛇紋の生活雑貨ブランド「ヴェルデ(Verde)」を立ち上げた。
イタリア語で「緑」を意味するこの名を選んだのは、世界で通じる言葉で台湾の石を発信したかったからだ。
コースター、トレイ、インテリア小物、かつて土産物の花瓶や灰皿として売られていた石が、現代のデザインプロダクトとして生まれ変わった。

深緑の石が持つ時間


台湾蛇紋の深緑は、蛇紋岩に含まれるマグネシウムと鉄の珪酸塩鉱物から来ている。
フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込む際、海洋地殻の岩石が熱水変成作用を受けてできる。
地球の板が動くことで生まれる石だ。
台湾という島そのものが、プレートの衝突によって海底から押し上げられた若い島であり、その地質的な若さが台湾蛇紋の豊富な埋蔵量を生んでいる。

タロコ族が3000年暮らした渓谷。
日本統治時代に原住民が強制移住させられ、道が拓かれた峡谷。
212人の退役軍人が命を落として作った道路。
その道路建設の後に始まった採石場。
低賃金でイタリアと戦った石材産業。
そして今、最後の一社の娘が始めたブランド。

台湾蛇紋の深緑は、すべてその重さを静かに飲み込んで、今日も磨かれている。
台湾蛇紋 規格品

台湾蛇紋について詳しく知りたい方は、こちらもご覧ください。

台湾蛇紋とはどんな石か
台湾蛇紋の商品情報

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