【大理石の物語 57】ローマ帝国も征服できなかった島の石、ブレッチア・サルダという石

この石の別名を全部並べると、一つの段落が埋まる。

ブレッチア・サルダ、ダイノ、ダイノ・レアーレ、ダイノ・インペリアーレ、ダイノ・ティレーノ、ダイノ・ヴェナート、ナポレオン・ペルラート・ダイノ、オロゼイ、オロゼイ・ペルラート、ペルラート・ダイノ、ペルラート・オリンポ、ビアンコーネ、ティグラート・ドリエンテ、スコルピオン、すべて同じ山から採れる、同じ石だ。

産地はイタリア・サルデーニャ島東部、ヌオーロ県オロゼイのトゥッタヴィスタ山(標高805メートル)。
ジュラ紀から白亜紀にかけて形成された石灰岩の山腹に、採掘深度600メートルを超える採石場がある。
ベージュからヘーゼルナッツ、クリーム色の地色に、暗い方解石の脈とオニキスの薄層が走る。
化石、貝殻、藻類、鉱物が結晶化し、石の中に閉じ込められた。

そしてこの石が採れる島には、ローマ帝国も手を焼いた、しぶとい歴史がある。
ブレッチアサルダ スラブ材

謎の石の塔、ヌラーゲ


サルデーニャ島を旅すると、丘の上に奇妙な石の塔が立っているのを繰り返し目にする。

ヌラーゲ、紀元前1800年頃から紀元前238年頃にかけてこの島で栄えたヌラーゲ文明が残した巨石の塔だ。
現在確認されているだけで7000基以上が島内に存在し、最大で3万基が建設されたと推定されている。
最大のものは高さ20メートルを超え、複数の塔が壁でつながれた複合要塞を形成している。

誰が、何のために建てたのか
今も謎のままだ。
ヌラーゲ人の言語は解読されておらず、彼らがどこから来てどこへ消えたのかも定かではない。
フェニキア人のアンティーク品がヌラーゲの遺跡から発見され、地中海を越えた交易の証拠とされているが、ヌラーゲ人自身の声は何も残っていない。

ブレッチア・サルダの採石場があるオロゼイ周辺にも、ヌラーゲの遺跡が点在する。
石を掘る山のすぐそばに、3000年前の謎の文明の痕跡が眠っている。
コッドゥ・ヴェッキウの巨人の墓。高さ4mを超える石碑に刻まれた「偽の扉」は、死者の世界とのつながりを象徴していたと考えられている。
この墓はサルデーニャ島のヌラーゲ文化時代に築かれた共同墓地である。前面には半円形の祭祀空間が設けられ、死者への供物や儀式が行われた。中央の巨大な石碑に刻まれた小さな開口部は「偽の扉」と呼ばれ、生者と死者の世界を結ぶ象徴だったと考えられている。

ローマ帝国も征服できなかった山岳地帯


紀元前238年、ローマがサルデーニャ島を支配下に置いた。
しかし島の内陸部、バルバジア地方だけは違った。

バルバジア、この地名はローマ人が内陸の山岳民族を「バルバリア(野蛮人)」と呼んだことに由来する。
険しいジェンナルジェントゥ山脈に守られたこの地域の住民たちは、ローマ軍の侵攻を何度も退け、事実上の独立を保ち続けた。
ローマ帝国が地中海世界のほぼ全域を支配していた時代に、サルデーニャ島の山岳民族だけが屈服しなかった。

ブレッチア・サルダの産地オロゼイはバルバジア地方とバローニア地方の境界に位置する。
まさにローマが支配できなかった地域の縁にある。

20世紀まで続いた山賊の伝統


ローマ帝国への抵抗の気質は、中世を超えて20世紀まで生き続けた。

バルバジア地方は20世紀後半まで山賊が横行し、身代金目的の誘拐が頻発した。
彼らは単純な犯罪者ではなく、反乱者であり、逃亡者であり、ときに民衆の英雄でもあった。
険しい山岳地形が警察の追跡を阻み、地元住民も当局よりも山賊に共感することが多かった。

採石場の近くにあるオルゴーゾロという小さな町は、かつて「サルデーニャ山賊の首都」として知られた。
人口4000人のこの町から、比較的多くの山賊が出た。
1961年のイタリア映画『オルゴーゾロの山賊』はその実態を描き、カンヌ映画祭で受賞した。

しかし1960年代末、オルゴーゾロに変化が起きた。

山賊の首都が、壁画の街になった


1969年、オルゴーゾロの若者たちが街の壁に絵を描き始めた。
政治的なメッセージ、農民の生活、バルバジアの伝統、イタリア国家への抵抗、色鮮やかな壁画が路地の壁を埋め始めた。

今日、オルゴーゾロには約120点の壁画がある。
かつての山賊の首都は、世界各地から観光客が訪れる野外美術館になった。
壁画は今も増え続けており、現代の政治問題や社会問題を描いた新作が定期的に加わる。

山賊の伝統が壁画に変わった。
抵抗の精神は、銃から絵筆へと形を変えた。

「王者の牡鹿」という名の石


ブレッチア・サルダの最も有名な別名は「ダイノ・レアーレ」

イタリア語で「王者の牡鹿」を意味する。
石の表面に現れる模様が、牡鹿の毛皮を思わせることから名付けられた。

ローマも征服できなかった島の山から採れる石に、「王者の牡鹿」という名がついている。
山賊が身を隠した山岳地帯のすぐそばで、貝殻と藻類と化石を閉じ込めた石が今日も切り出されている。
採石場の深さは600メートルを超えた。

ヌラーゲ人が謎の塔を建て、
ローマ軍が退けられ、
山賊が身を隠した山の地下深くから、
王者の牡鹿の石は今日も切り出されている。

ブレッチア・サルダについて詳しく知りたい方は、こちらもご覧ください。

ブレッチア・サルダとはどんな石か

関連する大理石の物語

大理石の物語|記事一覧

石と建築、芸術と歴史にまつわる物語。 世界の石は、ただの素材ではない。 そこには歴史と建築、人間の物語が刻まれている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次