【大理石の物語 60】太陽王が独占した「王の採石場」ランゲドックという石

「泡と混じった血でできている」
9世紀のカロリング朝の修道士ラバヌス・マウルスは、この石をそう描写した。

ランゲドック
ルージュ・ド・ランゲドック、ヴィオレ・ド・ヴィルフランシュ、ルージュ・ド・リアとも呼ばれるこの石は、フランス南部オクシタニー地方のエロー県とオード県の採石場から産出される。

オレンジがかった赤からワインレッド、時に紫がかった深い赤まで、地色に大きな白い方解石の脈が力強く走る。
「泡と混じった血」という1200年前の描写が、今見ても的を射ている。

この石には、フランス絶対王政の絶頂と、異端審問の炎と、壮大な運河の話が刻まれている。
ランゲドック スラブ材

ルイ14世が「王の採石場」と名付けた


ランゲドック大理石の主要産地は、オード県のコーヌ=ミネルヴォワという人口1500人ほどの小さな村だ。
ここに「カリエール・デュ・ロワ(王の採石場)」と呼ばれた採石場がある。

採掘が本格化したのは17世紀初頭のことだ。
1610年頃、コーヌの修道院長ジャン・ダリベールがこの地の石の品質に注目し、イタリア人石工ステファノ・ソリアーノ(またはソルマーノ)を招いて地層を調査させた。
ソリアーノは石の価値を見抜き、1633年に採掘権を取得した。
最初の輸出先はイタリアだった。
カッラーラの本場イタリアが、フランスの赤い石を求めた。

転機は1662年だった。
ルイ14世がヴェルサイユ宮殿の建設を本格化させると、この鮮烈な赤い石がバロック様式の荘厳さを体現する素材として選ばれた。
ヴェルサイユの大トリアノン、サン=クルー宮殿、パリとトゥールーズの王室建築、太陽王の意志が及ぶあらゆる場所に、この赤い石が運ばれた。
採石場はいつしか「王の採石場」と呼ばれるようになった。

1665年、フランスの石材業者ボーとロッシーがイタリア人たちに加わり、国内市場への本格的な流通が始まった。
フランス・バロック建築の絢爛たる赤は、この小さな村の山から来ていた。
大トリアノン宮殿
ランゲドック 採石場
ランゲドック 原石

ミディ運河が石を運んだ


ランゲドック大理石の流通を劇的に変えたのは、石ではなく水だった。

1681年、ミディ運河が開通した。
大西洋(ガロンヌ川)と地中海をつなぐ、全長360キロの人工水路だ。

これもルイ14世の命によるもので、建設には1万2000人が15年間従事した。
地中海と大西洋を結ぶことで、船がジブラルタル海峡を回らずに物資を運べるようになる。
そのためだけに、山を掘り、川を渡す水道橋を建設し、100以上の水門を設けた。

1996年にユネスコ世界遺産に登録されている。

このミディ運河が、ランゲドック大理石の流通を革命的に変えた。

山から切り出された重い石が、運河の船に乗ってフランス中に届けられるようになった。
「王の採石場」の石が、「王の運河」を通って、「王の宮殿」へ運ばれた。
ルイ14世の時代、この石はあらゆる意味で「王の石」だった。

カタリ派が火刑に処された地の隣


採石場があるコーヌ=ミネルヴォワの名の由来は、ミネルヴォワ地方だ。
そしてミネルヴォワの中心地ミネルヴは、中世ヨーロッパで最も残酷な宗教弾圧のひとつが起きた場所だ。

13世紀初頭、南フランスにはカタリ派というキリスト教の異端派が広まっていた。
物質世界を悪とし、魂の解放を求めるその教義は、腐敗したカトリック教会への批判を内包していた。
教皇インノケンティウス3世はカタリ派の根絶を命じ、1209年からアルビジョワ十字軍がランゲドック地方に侵攻した。

1210年
コーヌの採石場から東へ約20キロのミネルヴで、カタリ派の信者たちが立て籠もった。
数週間の包囲の末に水源を断たれて降伏を余儀なくされると、改宗を拒んだ140人以上のカタリ派信者が広場で火刑に処された。
「彼らは自ら炎に飛び込んだ」と同時代の記録は伝えている。

採石場の石は何も知らない。

しかし「王の採石場」の村のすぐそばで、異端の炎が燃えた。

ワインと石の産地


コーヌ=ミネルヴォワはまた、ミネルヴォワAOCワインの産地としても知られる。
ローマ人がこの地にブドウと olives をもたらして以来、ワイン造りの歴史は2000年を超える。

石の赤と、
ワインの赤。
同じ土地から、二つの赤が生まれている。

村の名はオクシタン語で「洞窟(カウナ)」を意味する。
周辺に天然の洞窟が多いことから来ている。
洞窟の村の石が、フランス最大の宮殿を飾った。

王が死んで、石が廃れた


しかしバロックの時代は永続しなかった。

ルイ14世が1715年に死ぬと、フランスの建築の流行は絢爛たるバロックから古典主義へと移行した。
鮮烈な赤い石は「派手すぎる」として敬遠され、採掘は急速に縮小した。
「王の採石場」は時代とともに忘れられていった。

19世紀になって採掘は再開されたが、今度はグレーや化石の入った落ち着いた色調の石が求められた。
かつて太陽王を魅了した鮮烈な赤は、もはや主役ではなかった。
「王の採石場」は2006年に歴史的記念物に指定され、今は観光地として訪れることができる。
高さ50メートルに達する切り立った採石場の壁が、バロックの時代の採掘の規模を伝えている。

泡と混じった血の石


ランゲドックという地名は、オクシタン語(ラング・ドック=「オックの言語」)に由来する。
パリのフランス語が「ウィ(oui)」で「はい」を表すのに対し、南フランスのオクシタン語は「オック(oc)」で「はい」を表す。
その言語の名が地方の名になった。

カタリ派が「オック(はい)」と言い続けた土地で、改宗を拒んで炎に飛び込んだ。

ルイ14世が「はい、これが私の石だ」と宣言して王の採石場を作り、ミディ運河を流して宮殿へ運んだ。

そして時代が変わり、流行が去り、「王の採石場」は静かになった。

9世紀の修道士が「泡と混じった血」と呼んだ石は、今日も南フランスの山から切り出される。
その赤の中に、太陽王の野心と、異端者たちの炎と、2000年分のワインの赤が混ざっている。
ランゲドック スラブ材

ランゲドックについて詳しく知りたい方は、こちらもご覧ください。

ランゲドックとはどんな石か

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