【大理石の物語 55】敗北の地名を名乗るロッソ・レバントという石

この石の名前には、三つの謎がある。


ロッソ・レバント
エラズー・レッド、エラズー・チェリー、エラズー・ヴィシュネ、そしてロッソ・レパントとも呼ばれるこの深い赤の大理石は、トルコ東部アナトリアのエラズー県で採掘される。黒に近い深い紫がかったバーガンディの地色に、白い方解石の脈が縦横に走る。

「赤」と名乗っているが、実際に目の前に置くと「紫」と言った方がしっくりくる、そういう石だ。
中国の石材市場はこの石を「紫罗红(ズィ・ルオ・ホン)」、すなわち「紫のバラの赤」と呼んでいる。

日本人の目には紫、
中国人の目には紫のバラ、
トルコ人の目にはさくらんぼ(ヴィシュネ)
同じ石を前に、三者三様の色の感覚が現れている。

さて、三つの謎とは何か。
ロッソレバント 規格品

謎その一「レバント」とは何か


「ロッソ・レバント」はイタリア語で「レバントの赤」を意味する。
レバントとはイタリア語で「東」、あるいは地中海東岸地域(現在のレバノン、シリア、イスラエル、パレスチナ周辺)を指す歴史的な言葉だ。

しかしこの石の産地はトルコ東部のエラズー県であり、レバノンでもシリアでもない。
オリジナルのロッソ・レバントはイタリアのリグーリア州レバント村の採石場で産出されていた石で、トルコのエラズー産とは別物だ。

イタリアのレバント産は環境上の理由から採掘が極めて限られるようになり、市場にはトルコ産の類似石が「ロッソ・レバント」の名で流通するようになった。
インペリアル・グリーン(第54話)と全く同じ構図だ。産地が変わっても、名前が残った。

謎その二「レパント」はなぜギリシャの地名なのか


トルコ産のロッソ・レバントは「ロッソ・レパント」とも呼ばれる。
しかし「レパント」はギリシャにある地名で、トルコとは直接関係がない。

マーケティング上の理由から「レバント」との語呂合わせで「レパント」と呼ばれるようになったとされ、今日ロッソ・レパントとロッソ・レバントはほぼ同義語として使われている。

しかし「レパント」という地名には、石とは全く別の、はるかに重大な歴史が刻まれている。

レパントの戦い、ガレー船時代最後の大海戦


1571年10月7日。ギリシャ西部、レパント(現ナフパクトス)沖のギリシャ湾。

キリスト教聖同盟、スペイン、ヴェネツィア、教皇庁などの連合艦隊とオスマン帝国艦隊が激突した。
ガレー船による最後の大海戦で、聖同盟が大勝利を収めた。

背景にはオスマン帝国の地中海支配への恐怖があった。
オスマンはキプロス島をヴェネツィアから奪い、地中海の制海権を握ろうとしていた。
教皇ピウス5世は必死にスペインとヴェネツィアを説得し、聖同盟を結成させた。

聖同盟側の総司令官はオーストリアのドン・フアン、神聖ローマ皇帝カール5世の庶子で、当時わずか24歳だった。
オスマン側の司令官はムエッジンザーデ・アリー・パシャ。
双方合わせて約560隻のガレー船と15万人の兵士が、狭い湾で激突した。

戦いは4時間続いた。
聖同盟はオスマン艦隊の117隻を拿捕し、約3万人を殺傷または捕虜にした。
アリー・パシャは戦死した。
オスマン帝国の地中海支配神話が、この日に崩れた。

この戦いはティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼが絵画に描き、ヨーロッパ中に衝撃を与えた。
しかし皮肉なことに、ヴェネツィアは2年後の1573年にオスマンとの講和を結び、キプロス島をオスマンに割譲した。
勝ったのに島を失った。

そのレパントという地名を、トルコ産の石が「語呂合わせ」で名乗っている。
オスマン帝国が敗れた海戦の地名を、トルコの石が引き継いでいるという逆説だ。

謎その三 エラズーという街の正体


エラズーはヒッタイト、ウラルトゥ、ビザンツ、セルジューク、オスマンと、古代から多くの文明が交差してきた場所だ。
ユーフラテス川上流域に位置するこの地は、シルクロードの要衝として栄えた。

街の北5キロに、ハルプトという丘の上の古城がある。
紀元前2000年頃にフリア人(フルリ人)が定住した記録があり、4000年の歴史を持つ。
ヒッタイト、アッシリア、アルメニア、ビザンツ、セルジューク、オスマン、次々と支配者が変わるたびに、丘の上の城は別の旗を掲げた。

オスマン帝国時代にはスルタン・アブドゥルアジズの名にちなんで「マムレトゥル=アジズ」と呼ばれ、1937年にトルコ共和国によって「エラズー」と改名された。
街の歴史を知れば、ここが一筋縄ではいかない土地だとわかる。

そしてもうひとつ。エラズーは「ブズバー」という名の高品質ワインの産地としても知られる。
ユーフラテス川沿いのブドウ畑が、チェリーレッドのワインを生む。
採石場からはチェリーレッドの石が出て、畑からはチェリーレッドのワインが出る、同じ色の産物が、同じ土地から来ている。

赤い石が語る、逆説の歴史


ロッソ・レバント
この石の名前をたどると、逆説の連鎖に行き着く。

イタリアのレバント村の石が採れなくなり、トルコの石がその名を引き継いだ。
トルコの石は「レパント」とも呼ばれるが、レパントはオスマン帝国が敗れたギリシャの地名だ。
語呂合わせで付いた名前が、図らずもオスマン帝国の歴史的敗北を今に伝えている。

日本ではエラズー・レッドという正直な名で輸入するケースもある。エラズーという産地の名をそのまま使う、それが最も誠実な呼び方かもしれない。

しかしどんな名前で呼ばれようとも、石はエラズーの山から来る。

4000年の歴史を持つ城の麓で、
チェリーレッドのワインが育つ土地で、
ユーフラテス川が流れる谷で、
この石は今日も切り出されている。

赤と呼ぶか、紫と呼ぶか、それは見る人に任せればいい。

山はどちらでもなく、ただ黙って石を差し出している。

ロッソ・レバントについて詳しく知りたい方は、こちらもご覧ください。

ロッソ・レバントとはどんな石か
ロッソ・レバントの商品情報

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