ローマ皇帝アウグストゥスはそう言い残したとされる。
紀元前27年に即位したアウグストゥスは、ローマを世界の中心にふさわしい都市に作り変えようとした。
神殿、フォルム、記念碑、浴場、すべてを白い大理石で建て替えた。
その石はカッラーラの山から来た。
ひとりの皇帝の野心が、アプアン・アルプスの採掘を歴史上初めて本格的なスケールで動かした。

ローマ以前、エトルリア人が最初に掘った
カッラーラの大理石が初めて掘られたのは、ローマよりも古い時代のことだ。
エトルリア人
ローマ人が台頭する前にイタリア中部を支配した民族が、紀元前数世紀にアプアン・アルプスの石灰岩と大理石の存在に気づいていた痕跡がある。
しかし彼らの採掘は小規模なものにとどまり、本格的な産業にはならなかった。
転機は紀元前48年頃
ユリウス・カエサルの時代だ。
ルニ港(現在のカッラーラ近郊)が整備され、山から切り出した石を船で運ぶルートが確立された。
ギリシャ人歴史家ストラボンはこの頃から採掘が活発化したと記録している。
そしてアウグストゥスの時代に、採掘は爆発的に拡大した。

奴隷が山を掘った
アウグストゥスの「大理石の都」計画を支えたのは、奴隷の労働だった。
カッラーラの語源はケルト語の「カイル」またはリグリア語の「カル」どちらも「石」を意味する。
その石を掘ったのは、戦争捕虜、刑事罰を受けた者、帝国各地から連行された奴隷たちだった。
コロンナータという村の名前が「コロニア(植民地・奴隷収容所)」に由来するという説は、紀元前40年頃にローマが採石場労働者を収容するための施設を設けたことを示唆している。
採掘方法は原始的だった。
岩の亀裂に木の楔を打ち込み、水を注いで楔を膨張させ、岩を割る。
あるいはノミと鉄槌で地道に岩を削る。
鉄製の道具はあったが、爆薬はなかった。
すべて人力と、重力と、岩の性質を利用した作業だった。
切り出したブロックは急斜面を滑り台のようにして降ろし、ルニ港まで運んで船に積んだ。
数トンの石が、奴隷の手によって山から海まで運ばれた。
その過程で何人が死んだかは、記録されていない。
ビアンコカララが作ったローマ
アウグストゥス以降の約200年間、ローマの主要建造物の多くにカッラーラのビアンコカララが使われた。
パンテオン(最初の神殿は紀元前27年頃、現在の建物は125年頃完成)の柱と内装。
トラヤヌス帝の記念柱(113年完成)、高さ38メートルのこの柱を覆う螺旋状の浮彫りは、ビアンコカララに刻まれている。
カラカラ浴場(216年完成)の壁面装飾にも使われた。
ローマ人はこの石を「マルモル・ルネンセ(ルニの大理石)」と呼んだ。
カッラーラという現在の地名がまだなかった時代、石は港の名前で呼ばれていた。
今日「カッラーラ」と呼ばれるものは、かつて「ルニ」と呼ばれていた。
帝国の最盛期には年間数千ブロックがカッラーラから出荷され、地中海を渡ってローマへ届けられた。
この規模の石材物流は、現代の感覚で見ても驚くべきものだ。
1000年の眠り、そして復活
2世紀後半、採掘は急速に衰退した。
ルニ港の堆砂によって船の出入りが困難になり、石の輸送コストが跳ね上がった。
ローマ帝国自体の衰退も重なった。
カッラーラの採石場は事実上の休眠状態に入った。
中世の約1000年間、採掘はごく小規模にとどまった。
ランゴバルド族、フランク族、マラスピーナ家、支配者が変わっても、山は眠り続けた。
カッラーラの大理石はもはや世界に届けられず、地元の教会や建物に細々と使われるだけだった。
復活のきっかけは、ルネサンスだ。
14世紀から15世紀にかけてフィレンツェで花開いた芸術と建築への需要が、カッラーラの山を再び目覚めさせた。
フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)の外装には、カッラーラの白大理石、プラートの緑大理石、シエナの赤大理石の三色が使われた。
その白がビアンコカララだ。
そして1497年、22歳のミケランジェロが馬に乗ってカッラーラへやってきた(第61話)。
2200年、止まらない採掘
カッラーラの採掘が歴史文書に初めて登場してから、今日まで約2200年。
採掘が止まったことは一度もない。
ローマ帝国が崩壊しても、
中世の混乱の中でも、
二度の世界大戦を経ても、
山は掘られ続けた。
これほど長期間、これほど大量に採掘され続けた採石場は、世界に他にない。
650か所を超える採掘地点が確認されており、ここから採れた大理石の総量は地球上のどの産地をも上回る。
しかし裏を返せば、山は確実に削られている。
アウグストゥスが「煉瓦の都を大理石の都に変えた」と誇った石は、2200年かけて少しずつ消えてきた。
今日もトラックとクレーンが山を削り、石は世界へ旅立っていく。
ローマの廃墟に白い石が残り、
フィレンツェの大聖堂に白い石が光り、
ミケランジェロのダビデが白く輝く、
それらはすべて、同じ山から来た石だ。
そしてその山は、今日も削られている。
その始まりは、ひとりの皇帝が「ローマを大理石の都にする」と決めた日だった。


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