ギリシャ中部エヴィア島対岸、ボイオティア地方のリトソナ地区で採掘される石灰岩のシリーズだ。日本ではまだほとんど流通していない石だが、その名前の由来をたどると、ギリシャ史上最も痛ましい出来事のひとつに行き着く。
赤、灰、金、淡いバラ色、それぞれ異なる色調を持つこの石灰岩は、すべて同じ地区、同じ古代の地名を冠している。ミュカリッソス。ホメロスの『イリアス』に記された町の名前だ。


「船のカタログ」に記された町
ミュカリッソス(古代ギリシャ語:Μυκαλησσός)は、ホメロスの『イリアス』第2巻、「船のカタログ」と呼ばれる部分に登場する。
トロイア戦争にギリシャ艦隊として参加した都市国家の一覧の中に、ボイオティア地方の町として名前が記されている。
地名の由来には神話的な説がある。カドモス(テーバイの建国者)を導いていた牛が、この場所で「鳴いた(エムケサト)」ことから「ミュカリッソス」と名付けられたという。
紀元前6世紀のアルカイック期に最も繁栄したこの小さな町は、防御用の城壁を持ち、神殿と学校を備えた、決して大きくはないが整った共同体だった。
場所は現在のリトソナ村から南西へ約400メートル、テーバイとカルキスを結ぶ道の西側。地理学者ストラボンもこの町について「テーバイからカルキスへ続く道沿いにあり、ボイオティア方言ではミュカレットスと呼ばれる」と記録している。

紀元前413年、夏の朝
ペロポネソス戦争、アテネとスパルタを中心とした二十数年にわたるギリシャ世界の大戦争のただ中にあった紀元前413年。アテネは財政難に陥っていた。
シケリア遠征に間に合わず到着が遅れた、トラキア人の軽装歩兵1300人を抱えていたが、もはや彼らを雇い続ける余裕がなかった。
アテネはこのトラキア人部隊を、将軍ディエイトレフェスの指揮のもとへ北へ送り返すことにした。その道中、ボイオティア地方の沿岸を通過する際に「敵地を襲撃せよ」という指示が与えられた。
夏の朝、トラキア人部隊はミュカリッソスに到達した。町は十分な警備を欠いていた。城壁はあったが老朽化し、見張りも巡回もほとんどなく、町の門は事実上開け放たれた状態だった。住民たちは、危険がすぐそこまで迫っていることに気づいていなかった。
トゥキディデスが記録した、戦争で最も悲惨な出来事
歴史家トゥキディデスは『歴史』第7巻でこの出来事を記録している。その記述は、彼の著作全体の中でも特に生々しいものとして知られている。
トラキア人たちは町に押し入り、家々と神殿を略奪し、住民を殺害した。老人も若者も区別なく、出会った者を次々と殺し、女性も子供も、荷を運ぶ家畜さえも、目に映るすべての生き物を殺した。
トラキア人は、いざとなれば他のどの民族にも劣らず凶暴になることがある、とトゥキディデスは書いている。
町で最も大きな男子校が、ちょうどその朝、生徒を迎え入れたところだった。トラキア人たちはこの学校にも押し入り、生徒たちを一人残らず殺害した。
トゥキディデスはこう締めくくっている。
「この災厄は、戦争中に起きたどの出来事にも劣らず、いや、それ以上に、突発的で凄惨なものであった。ミュカリッソスはその規模に対して、計り知れない損失を被った」。
テーバイ騎兵の報復
惨劇の知らせを受けたテーバイの軍勢が駆けつけた。略奪品を抱えて撤退しようとするトラキア人を、テーバイの騎兵隊が追跡した。
最大の損害は、トラキア人が船に乗り込もうとしていたときに生じた。彼らの多くは泳ぎ方を知らなかった。海岸で繰り広げられた混乱の中、テーバイ騎兵の追撃によってトラキア人1300人のうち250人が討たれた。指揮官ディエイトレフェスを含むアテネ側にも約20人の死者が出た。
しかしテーバイの報復も、ミュカリッソスの住民を生き返らせることはなかった。町は人口の大部分を失い、再び元の姿を取り戻すことはなかった。
消えた町、残った地名
パウサニアス(2世紀のギリシャの地理学者)が訪れた頃には、ミュカリッソスはすでに存在しなくなっていたと記録されている。彼はハルマとミュカリッソスの廃墟を、カルキスへの道中で目にしたと書いている。
20世紀の考古学調査によって、現在のリトソナ村の南西、テーバイ・カルキス道路の西側に、紀元前8世紀から3世紀にかけての墓地が発見された。多数の副葬品。壺や小さな像がテーバイ考古学博物館に収められている。町そのものの遺構はほとんど残っていないが、その存在を示す物証は、今も地中から見つかり続けている。
都市国家としてのミュカリッソスは、紀元前413年のあの夏の朝に、実質的にその歴史を終えた。しかしその名前は、現代のリトソナという地名、そして石灰岩の商品名として、今日まで生き続けている。

地名が、記憶を運ぶ
ミュカリッソス・レッド、ミュカリッソス・インペリアル・グレー、ミュカリッソス・ゴールド、ミュカリッソス・ピンク・ファンタジー(商品名としては「マイカリソス」と表記されることもある)これらの名前を見て、その由来にある古代の悲劇を知る人は、ほとんどいないだろう。
石材業界において、地名がそのまま商品名になることは珍しくない。このシリーズでもロッソ・ヴェローナ(第28話)、アンタルヤ・ライム(第92話)など、地名が石の名前を作る例を何度も見てきた。しかしミュカリッソスという名前の背後には、ホメロスが書いた町の記憶と、紀元前413年の夏の朝に起きた出来事が、静かに眠っている。
石は語らない。
しかしその名前をたどることで、忘れられた歴史の断片に、思いがけず触れることがある。





















