大谷石の蔵だ。
江戸時代から昭和の高度成長期まで、宇都宮から東京・横浜まで、大谷石の蔵は関東の農家と商家の「財産を守る場所」として建てられ続けた。
その数は膨大で、今日も関東各地の古い街並みの中に、灰緑色の石の蔵が点在している。
なぜ大谷石がこれほど広く使われたのか。その答えは、石の性質と、川と、鉄道の歴史にある。
板蔵から石蔵へ、火事が変えた蔵の歴史
江戸時代以前、関東の農家や商家の蔵は「板蔵」だった。
太い木材を柱や梁として用い、壁は板材で覆い、屋根は茅葺か板葺き、つまり木と草でできた蔵だ。
問題は火事だった。
板蔵は火災に極めて弱い。
江戸時代は「火事と喧嘩は江戸の花」と言われるほど火事が多く、一度火が出ると連鎖的に燃え広がった。
大切な米、味噌、商品、証文、財産を守るはずの蔵が、火事ではあっという間に灰になった。
そこで防火性の高い蔵が求められるようになった。
土や漆喰で外壁を覆った「土蔵」が普及したが、さらに防火性が高く、かつ加工しやすい素材として大谷石が注目された。
大谷石は火に強い(第77話で宇都宮空襲でも証明された)。
しかも軟らかく加工しやすく、職人が短期間で蔵を建てることができる。
大谷石採掘が生業として発展し、大谷石の構造物が広く普及するのは江戸時代になってからで、最も多く用いられたのは蔵だった。
宇都宮市周辺地域における蔵の変遷は、板蔵から大谷石蔵への流れだ。

鬼怒川が石を江戸へ運んだ
大谷石が宇都宮周辺だけでなく、東京・横浜にまで広がったのはなぜか。
答えは水運だ。
鬼怒川を使った水運が盛んになると、川を使って遠く江戸に運ばれ、優れた建築材として広く使われるようになった。
大谷から切り出された石は鬼怒川を下り、利根川を経由して江戸へと届いた。
重くて大きな石材を陸路で運ぶには限界があったが、川を使えば大量輸送が可能だった。
江戸の商人や農家が大谷石の蔵を建てるようになったのは、この水運ルートが確立されたからだ。
宇都宮から江戸まで、川の流れが石の流れを作った。
明治になると鉄道が開通し、大谷石の輸送量はさらに爆発的に増加した。
明治以降は採石産業が確立し、人車軌道や鉄道などの輸送手段の発達や採掘の機械化により、出荷量は飛躍的に増加した。
宇都宮以外にも東京や横浜に大量に出荷され、近代化する日本の都市づくりの礎を担ってきた。
石蔵の進化、張石から積石へ
大谷石の蔵は時代とともに作り方が変わった。
江戸後期から大正初期までの古い石蔵は、木造の軸組に石を張った「張石」だった。
防火性を高めるために外壁に土や漆喰を塗ったものが土蔵で、土や漆喰ではなく大谷石を張ったものが石蔵だ。
明治になると西洋式のレンガ造や石造の建物が増え、大谷石の輸送量が多くなるため、石蔵も積石工法になっていった。
積石構造は大谷石のブロックを積み重ねて壁を作る方法で、より堅牢で本格的な石造建築だ。
宇都宮の豪商・篠原家の石蔵(江戸時代の文庫蔵と石蔵、明治時代の母屋と新蔵)は、この変遷を一か所で見ることができる貴重な建築群だ。
徳川家康の側近が、大谷石で城を作った
大谷石の蔵の文化は、実は城郭から始まっていた。
大谷石が建築資材として使われるようになったのは奈良時代の741年に下野国分寺が建立された時と伝えられる。
その後、平安時代の1063年に藤原宗円による宇都宮城築城、江戸時代になってからは1620年に本多上野介正純の城郭普請などに使われた。
本多正純は徳川家康の側近中の側近——家康の政治的な「頭脳」として活躍した人物だ。
その正純が宇都宮城の改築に大谷石を採用したことで、大谷石は「城に使われる石」として格付けされた。
権力者が使う石が、やがて庶民の蔵の石になっていく。
大谷石の民主化の歴史だ。
1964年
石蔵の時代が終わる
高度経済成長期になると、建築の主役は鉄筋コンクリートへ移った。
大谷石より強く、大きく、速く建てられるコンクリート建築が普及し、石蔵は次第に姿を消していった。
1964年の東京オリンピックは、日本の建築が大谷石からコンクリートへ移行する象徴的な時代だった。
石蔵が、新しい場所になる
しかし近年、大谷石の蔵は新たな役割を得ている。
宇都宮市内には今も多くの石蔵が残り、カフェやギャラリー、レストランとして再利用されている。
宇都宮まちづくり推進機構は「宇都宮石蔵バンク」を運営し、空き石蔵と新たな利用者を結びつけている。
かつて財産を守るために建てられた石蔵は、今は街の記憶を残す場所として生き続けている。
石蔵が語る、関東の近代
関東平野の古い街並みに残る灰緑色の石蔵は、ひとつひとつが大谷石の歴史の断片だ。
江戸の火事から財産を守るために建てられ、
鬼怒川の水運で広がり、
鉄道で関東中に届き、
明治の近代化を支え、
昭和の戦争を生き延び、
東京オリンピックの時代にコンクリートに道を譲り、
そして今、カフェやギャラリーとして再生されている。
一枚の石蔵の壁に、関東の近代史が詰まっている。

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