東京・日比谷に新しいホテルの開業を祝う人々がいた。
フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル新館
10年の歳月と数々の困難を経てようやく完成した建物の、まさにその開業日に、マグニチュード7.9の関東大震災が襲った。
東京と横浜が壊滅した。
14万人以上が死亡した。
しかし帝国ホテルは、ほぼ無傷で立っていた。







「東洋の宝石」と呼ばれたホテル
帝国ホテルの歴史は1890年に始まる。
明治政府が外国からの賓客を迎えるための施設として建設した初代帝国ホテルは、日比谷公園の南側に位置し、皇居にも近い一等地にあった。
1909年、
帝国ホテルは拡張のための新館設計を世界的な建築家に依頼することを決めた。
選ばれたのがフランク・ロイド・ライト
当時すでにアメリカでプレーリー様式の革新的な住宅建築で名声を確立していた建築家だ。
ライトが初めて日本を訪れたのは1905年だった。
日本の建築、美術、浮世絵に深く魅了された彼は、帝国ホテルの設計を「日本と西洋の融合」として構想した。
マヤ文明の建築に触発された幾何学的な装飾、水平を強調する低層の構造、中庭と反射池を中心に左右対称に広がる配置
「東洋の宝石」と呼ばれることになるこのホテルは、ライトの建築思想の集大成だった。

なぜ大谷石が選ばれたか
ライトがこのホテルの主要素材として選んだのが、大谷石(おおやいし)だった。
大谷石は栃木県宇都宮市大谷町で採掘される緑灰色の凝灰岩(火山灰が固まった石)だ。
軽石のような多孔質の構造を持ち、やわらかく加工しやすい。
重さはビアンコカララの約半分、同じ体積でも格段に軽い。
ライトは大谷石を選んだ理由について、その加工のしやすさを挙げている。
彼が帝国ホテルに施した複雑な幾何学的装飾。
マヤ文明を思わせるレリーフのパターンを石に刻むためには、職人が精密に彫刻できる素材が必要だった。
大谷石の柔らかさと均質な質感が、この要求に完璧に応えた。
さらに、大谷石の多孔質の構造が重要な役割を果たした。
空洞を多く含む大谷石は衝撃を吸収しやすい。
地震の揺れに対して、ある程度の「しなやかさ」を持つ素材だった。
ライトが意図してこの性質に注目したのか、直感的にこの石を選んだのかは定かではない。
しかし結果として、大谷石は1923年9月1日にその性能を証明することになる。
「泥の上に浮かべる」革命的な基礎構造
帝国ホテルが関東大震災を生き延びた最大の理由は、大谷石だけではなかった。
ライトが設計した基礎構造こそが、建物を救った。
東京の地盤は、表面から約8フィート(約2.4メートル)を掘ると、軟らかな泥の層に達する。
当時の建築常識では、この泥の層を避けてさらに深く杭を打ち込み、硬い地盤に建物を固定するのが正解だとされていた。
しかしライトは逆の発想をした。
「硬い地盤に固定するのではなく、泥の上に浮かせる」
地震の揺れに抵抗するのではなく、揺れとともに動くことで衝撃を逃がす「浮き基礎」の設計だ。
短い杭を無数に打ち込み、建物を泥の上に乗せた。
揺れれば揺れに従い、揺れが収まれば元の位置に戻る。この発想は当時の建築工学の常識を覆すものだった。
「船が水の上に浮かぶように、建物は泥の上に浮かべる」
ライトはそう語ったとされる。
加えて、建物を全体として一つの剛体にするのではなく、複数のブロックに分割し、ブロック間をフレキシブルに結合する設計にした。
地震の波が建物を通り抜けるとき、一か所に力が集中するのではなく、全体で分散吸収する構造だ。
10日間の沈黙、そして電報
1922年秋、
ライトは建設現場を離れ、アメリカに帰国した。
完成に向けた最終作業は日本人スタッフに任され、1923年9月1日の開業を待っていた。
その開業日に、関東大震災が起きた。
ロサンゼルスにいたライトに、東京からの情報がまったく届かなかった。
電信網も電話網も寸断されていた。
帝国ホテルが生き残ったのか、瓦礫の中に埋まったのか、10日間、何もわからなかった。
10日後、ついに電報が届いた。
帝国ホテルの主要な資金提供者だった大倉喜八郎男爵からだった。
「ホテルは無傷で立っています。あなたの天才の記念碑として。何百人もの家を失った人々が、完璧に維持されたサービスのもとに収容されています」
ライトはこの電報を記者に渡した。
世界中に配信されたこのニュースが、帝国ホテルと大谷石を一夜にして伝説にした。
伝説の建物が消えた日
しかし伝説の帝国ホテルは永遠には続かなかった。
関東大震災を生き延びたライトの帝国ホテルは、第二次世界大戦の空襲で南翼が大きく損傷した。
修復されて戦後も使われ続けたが、1960年代の東京の急速な近代化の波の中で、老朽化と不十分な客室数が問題になった。
1968年、
帝国ホテルは解体された。
コンクリート構造のため一気に取り壊すことができず、大谷石のブロックと装飾タイルが一枚一枚手作業で外された。
解体された素材の一部は愛知県犬山市の明治村に移送され、玄関ロビー部分が復元・展示されている。
今日もそこに行けば、ライトの幾何学的な装飾が施された大谷石の壁面を触ることができる。
建物は消えた。しかし大谷石は残った。
大谷石という石
帝国ホテルが大谷石を世界に知らしめた。
しかしこの石の歴史は、ライトよりはるかに古い。
栃木県宇都宮市大谷町
ここでの採掘の歴史は江戸時代から始まる。
凝灰岩の中に含まれる小さな軽石粒、雲母のきらめき、緑灰色の独特の色調、大谷石は長く蔵の建材として使われてきた。
関東の農家の蔵に大谷石が使われているのは、軽くて加工しやすいという実用的な理由と同時に、火山灰由来の成分が防湿・防虫効果を持つからだとも言われる。
ライトはその地場産業の石を、世界最高の建築の舞台に乗せた。
大谷石は帝国ホテルとともに伝説になり、関東大震災の記憶とともに語り継がれることになった。
地震に勝ったホテルの石
それが大谷石の、最初の世界デビューだった。

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