スペイン南東部、バレンシアとムルシアの州境に広がる山岳地帯。
地中海の太陽が照りつけるこの乾いた大地から、深い褐色の石が採れる。
その名はエンペラドール(Emperador)、スペイン語で「皇帝」を意味する。
磨き上げると、表面に蜘蛛の巣のような白い脈が走る。
暖かみのある褐色の深みが現れる。
高級ホテルのロビー、バスルームの洗面台、暖炉の周り。世界中の建築家がこの石を愛してきた。
だが40年ほど前、スペインの工場で見たあの光景を、私はずっと忘れられない。
工場の中に、8人の皇帝が並んでいた
レバンティーナ(Levantina)1959年創業、アリカンテに本社を置くスペイン最大の石材会社だ。
クレマ・マーフィルとエンペラドールを世界に広めたこの会社の工場を訪れたのは、今から40年ほど前のことだ。
案内された工場の一角に、400mm角のエンペラドールのタイルが整然と並んでいた。
1番から8番まで。
色の薄い順から濃い順に、まるで見本帳のように並べてある。
1番は明るいキャメル色に近い。陽光を受けた砂漠の砂のような、柔らかな褐色だ。
8番は深く沈んだ濃褐色で、磨かれた革のような重みがある。
その間に、2、3、4、5、6、7、それぞれが微妙に、しかし確実に異なる顔を持つ。
1番と8番を並べれば、誰もが思う。
これは、別の石ではないか。
担当者は静かに言った。「全て、エンペラドールです」
全て「エンペラドール」として出荷されていた
かつてエンペラドールは、1番から8番まで全て同じ名前で世界に送り出されていた。
採石場から切り出した石を工場で加工し、400角や300角のタイルに仕上げ、「エンペラドール」と書いた箱に入れて出荷する。
色の濃淡は、石が持つ自然の個性だ。そういう理屈だった。
だがクレームが来た。大量に、世界中から。
「注文した石と届いた石の色が違う」「サンプルと現物が別物だ」「同じ箱の中でも色がバラバラだ」。
自然の石に色のばらつきがあることは、石材業界では常識だ。
だがエンペラドールのばらつきは、その常識を大きく超えていた。
1番と8番が「同じ石」では、さすがに無理があった。
そこで会社は決断した。ライトとダークに分ける、と。
1〜4番がエンペラドール・ライト。5〜8番がエンペラドール・ダーク。
担当者の説明を聞きながら、私は並んだタイルを眺めた。
1番と4番も、だいぶ違う。5番と8番も、やはり違う。
「ライトとダークに分けたところで、それぞれの中にまた幅がある」と思ったが、口には出さなかった。


今も、人の目が仕分けている
現地の工場では今も、作業員が目視で石を仕分けている。
機械ではなく、人の目で。「これはライト」「これはダーク」
その判断が、出荷される石の色を決める。
丁寧な作業員の日と、そうでない日がある。ベテランと新人では目が違う。
疲れた午後と、朝一番では判断が変わるかもしれない。
これが「規格品」と呼ばれる石材の、正直な姿だ。
さらにエンペラドールには、もう一つの素顔がある。
ピンホール(細孔)。
エンペラドールはブレッチャ(角礫岩)、岩石の破片が天然の方解石で接合された石だ。
その成り立ちの性質上、表面や内部に小さな空隙やクラックが入ることがある。
出荷前に、似たような色の充填材で埋められる。
スペインの工場で補修された石は、日本の目で見ると「粗い」と感じることがある。
日本の石材補修技術は高く、丁寧に直せば気づかれないレベルに仕上げることができる。
現地補修のエンペラドールが入ってくると、再補修が必要になることも珍しくない。
ホテルで見た美しさの正体
高級ホテルのロビーでエンペラドールを見て、息をのんだことがある人は多いだろう。
深い褐色の壁が光を吸い込み、白い脈が静かに走る。
重厚で、温かく、贅沢だ。
あの美しさには、理由がある。
ホテルが使っているのは、スラブ材だ。
採石場から切り出した大きな原板を、色と模様が揃うように職人が目で確認しながら選定し、加工する。
同じ空間に使う石が調和するよう、一枚一枚を吟味する。
規格品とスラブ材。
同じ「エンペラドール」という名前を持つが、この二つの間には、天と地ほどの差がある。
ホテルのエンペラドールを見て感動し、「あの石を使いたい」と思い、コストを考えて規格品を選んだとき、
石の名前は同じでも、手に入るものは全く別物かもしれない。
それを知らずに使うと、「思っていたのと違う」という結果になる。
知識のある人が使えば、問題は起きない。
知識のない人が使うと、トラブルになる。
エンペラドールとは、そういう石だ。

皇帝は、正直だ
あの工場の光景を思い出す。
1番から8番まで、静かに並んだタイル。
全て「エンペラドール」という名前を持ちながら、それぞれが全く異なる顔をしていた。
考えてみれば、これは石が嘘をついているわけではない。
山から切り出したそのままの姿を、そのまま見せているだけだ。
色が違うのは自然のことで、石に罪はない。
罪があるとすれば、その多様さを知らせないまま「エンペラドール」という一つの名前で括ってしまったことだ。
皇帝は、8つの顔を持つ。
どの顔を選ぶか。どの顔を求めているか。それを知った上で向き合えば、エンペラドールは応えてくれる石だ。
エンペラドールの色幅や表情の違いは、実際の石材を見るとよくわかります。



















コメント