ナイル川を遡ること約250キロ。
エジプト中部ミニャ県、古代エジプト人が「イウヌ・シェマア(上エジプトのヘリオポリス)」と呼んだこの地域の石灰岩採石場が、ギザのピラミッド建設のための建材の重要な供給源のひとつだった。
そして今日、同じ地域の採石場から、サニー・ベージュという石が切り出されている。
サニー・ベージュ
サニー・マーブル、サニー・ミニャとも呼ばれるこの石灰岩は、エジプト中部ミニャ県のファデル山(エル・シェイク・ファドル地区)周辺の採石場から採掘される。
温かみのあるゴールドがかったベージュの地色に、白と金色の繊細な脈が走る。
細かな化石を含む表面が、明るく柔らかな光沢を持つ。
「サニー(陽光のような)」という名は、この石が持つ明るさをそのまま言い当てている。


ピラミッドを作った産地
ミニャ県の石灰岩採石場の歴史は、エジプト文明の黎明期に遡る。
デイル・エル=ベルシャ地区をはじめとするミニャの採石場群は、新王国時代(紀元前1550〜1070年頃)からローマ時代まで、巨大な神殿建設と彫刻のための石灰岩を供給し続けた。
アメンヘテプ3世(ツタンカーメンの祖父にあたる)が建設したヘルモポリス神殿に使われた石灰岩もこの地域から来ていたことが、古代エジプトの浮彫りとヒエログリフによって示されている。
さらに研究者たちは、神殿建築やピラミッド関連施設の一部建材に、ナイル上流の石灰岩が用いられた可能性を指摘している。
クフ王のピラミッドに代表される石灰岩の外装材は、より近くのトゥーラ採石場が主な供給源だったが、内部の石灰岩ブロックの一部はナイル上流の採石場からも運ばれた。
ファラオが神殿を建て、ピラミッドを作るためにこの山を掘った。
数千年後の今、同じ山からサニー・ベージュが切り出され、世界中の高級建築の床と壁を飾っている。
石の産地は変わらない。
使う人間と目的だけが変わった。

知恵の神トートの聖地
採石場のある地域のすぐそばに、古代都市ヘルモポリス・マグナがある。
古代エジプト名はケムヌ(八の街)、世界創造に関わった八柱の原初神「オグドアド」が住むとされた場所だ。
カエルの頭を持つ四柱の男神と、蛇の頭を持つ四柱の女神が、天地創造の前に原初の大海に存在していた。
この神話の舞台がヘルモポリスだった。
しかしヘルモポリスを最も有名にしたのは、トートへの崇拝だ。
知恵、文字、科学、魔法、月の神、トートはエジプト神話において人間に文字と知識を与えた神とされる。
ヒヒと朱鷺(トキ)が彼の象徴だ。
神殿の入口には高さ4.5メートルを超える巨大なヒヒの石像が立ち、街全体がトートへの信仰に捧げられていた。
ギリシャ人はトートをヘルメスと同一視し、都市に「ヘルモポリス(ヘルメスの都市)」という名を与えた。
さらにローマ時代には「ヘルメス・トリスメギストス(三倍偉大なヘルメス)」という概念が生まれ、錬金術、占星術、魔術を包括する「ヘルメス主義」という神秘思想の源流となった。
採石場の隣の街が、中世ヨーロッパの秘教思想の出発点のひとつだった。
異端のファラオが「太陽」のために作った都市
ミニャ県には、エジプト史上最も謎めいたファラオの痕跡がある。
アクエンアテン(在位紀元前1353〜1336年頃)
ツタンカーメンの父とされるこのファラオは、即位後まもなく前代未聞の宗教革命を断行した。
何千年も続いてきたエジプトの多神教を廃止し、太陽の円盤「アテン」のみを唯一神として宣言した。
アメン神をはじめとする旧来の神々の名と像は神殿から削り取られ、神官たちは職を失った。
アクエンアテンはテーベから遷都し、砂漠の中に新都市を建設した。
テル・エル=アマルナ、現在のミニャ県内に位置するこの都市跡が、彼の「太陽の都」の遺跡だ。
わずか数年で建設され、ファラオの死後わずかな時間で完全に放棄された幻の都。
後継者たちは徹底的にアクエンアテンの記録を抹消しようとした。
彼の名は碑文から削られ、「異端者」として歴史から消された。
しかしアマルナの遺跡は砂漠の下に眠り続け、19世紀に再発見された。
アマルナで作られた芸術、ネフェルティティの胸像(現在ベルリン新博物館所蔵)をはじめとする写実的な表現は、それまでのエジプト美術の様式を根本から覆す革命的なものだった。
太陽神だけを崇め、砂漠に幻の都を作り、歴史から抹消されたファラオの痕跡が、サニー・ベージュの採石場と同じ県の土の下に眠っている。


皇帝が愛人のために作った都市
時代はくだって2世紀。ローマ帝国の絶頂期。
皇帝ハドリアヌスは123年、帝国視察の旅の途中でエジプトを訪れた。
随行していたのは彼の寵愛する青年アンティノウスだった。
ビテュニア(現在のトルコ北西部)出身の美しい青年で、皇帝は彼を深く愛していた。
130年10月。ナイル川を船で下る旅の途中、アンティノウスが溺死した。
詳細は謎のままだ。事故か、自殺か、暗殺か、宗教的な生贄か。皇帝は激しく嘆いた。
ハドリアヌスはアンティノウスが溺死した場所のすぐそばに、都市を建設することを命じた。
アンティノオポリス「アンティノウスの都市」。
ミニャ県のナイル川東岸に建設されたこの都市は、完全なギリシャ・ローマ様式で設計され、劇場、神殿、列柱道路が整備された。
ハドリアヌスはアンティノウスを神格化し、帝国全土で彼を神として崇拝することを命じた。
アンティノウスの像と彫刻が帝国中に作られ、彼の名を冠した都市が各地に生まれた。
21世紀の今も、アンティノウスはローマ帝国史上最も多く像が残る人物のひとりだ、 皇帝を除けば。
溺死した青年を神にした皇帝の愛の記念碑が、サニー・ベージュの産地のナイル川沿いに建っていた。
陽光のような石が、歴史を照らす
サニー・ベージュの「サニー(陽光のような)」という名は、この石の明るい温かみを指している。
ゴールドがかったベージュは光をよく反射し、空間を明るく穏やかに見せる。
世界市場で広く流通し、ヨーロッパ、中東、アジアの建築に使われている。
しかしその石が採れる土地の下には、
ピラミッドを作ったファラオの採石場跡が眠り、
知恵の神トートの神殿の廃墟が横たわり、
太陽神だけを信じた異端のファラオの幻の都が砂に埋まり、
溺死した青年を神にした皇帝の悲しみの都市跡がある。
ミニャの石灰岩は、エジプトの5000年を静かに見続けてきた。
サニー・ベージュという明るい名の石の下に、人類の最も濃密な歴史の一断面が詰まっている。
サニー・ベージュはエジプト中部ミニャ県で採掘される石灰岩です。 温かみのあるベージュ色と柔らかな表情が特徴で、 床・壁・カウンタートップなど幅広い用途に使用されています。



















