2200年にわたって山から切り出されてきたビアンコカララは、世界中の建物と彫刻に散らばっている。
ローマの凱旋門から、
ロンドンのアーチから、
アメリカの議会議事堂まで、
石の行き先リストは、そのまま人類の建築の歴史になる。
ローマ、ティトゥスの凱旋門
ローマ・フォルムに立つティトゥスの凱旋門(紀元81年完成)は、高さ約20メートル、幅約13メートル。
毎年何百万人もの観光客が写真を撮るこの凱旋門の上部に、ローマ時代に「マルモ・ルネンセ(ルニの大理石)」と呼ばれたビアンコカララが使われている。
この石はローマ時代にはカッラーラではなく港の名前「ルニ」で呼ばれていた(第64話)。
凱旋門に刻まれた皇帝ティトゥスのレリーフは、ユダヤ戦争の勝利を記念するもの。
メノーラ(ユダヤの燭台)を運ぶ兵士たちが、今もビアンコカララの石に刻まれている。

ローマ、トラヤヌス帝の記念柱
113年に完成したトラヤヌス帝の記念柱は、高さ38メートル。
柱の表面を螺旋状に巻く浮彫りには2662人の人物が刻まれ、ダキア戦争(現在のルーマニアの地での戦い)の全経緯が描かれている。
これほどの物語を刻み込む素材として、ビアンコカララが選ばれた。
1900年以上が経った今も、細部まで鮮明に読み取れる。ビアンコカララの耐久性の証だ。

ピサ、奇跡の広場
ピサのドゥオーモ広場、「奇跡の広場」とも呼ばれる。
その広場に立つ大聖堂と洗礼堂と斜塔は、11〜14世紀に建設された。
ピサ大聖堂の聖壇、ジョヴァンニ・ピサーノが1302〜1311年に制作した説教壇、洗礼堂のニコラ・ピサーノの説教壇(1260年)にカッラーラの大理石が使われた。
斜塔で有名なこの広場全体に、カッラーラの白い石が満ちている。

ロンドン、マーブル・アーチ
ロンドン、ハイド・パークの東端に立つマーブル・アーチその名の通り、ビアンコカララで作られた凱旋門だ。
もともとバッキンガム宮殿の正門として設計されたが、後にオックスフォード・ストリート、パーク・レーン、エジウェア・ロードの交差点に移設された。
ナポレオン戦争(ワーテルローの戦いを含む)でのイギリスの勝利を記念するこのアーチに、カッラーラの石が使われた。
フランスと戦って勝ったイギリスが、フランスに占領されたこともあるカッラーラの石で記念碑を作った。歴史の皮肉だ。

ワシントンD.C.アメリカ合衆国議会議事堂
ネオクラシック様式のアメリカ合衆国議会議事堂にも、ビアンコカララが使われている。
ルーブル宮殿とローマのパンテオンにインスパイアされた設計だ。
「自由と民主主義の殿堂」として世界に知られるこの建物が、イタリアの山の石で作られている。
アメリカの独立の精神を体現する場所に、2000年以上掘られ続けてきたイタリアの採石場の石が届いた。

ロンドンのマーブル・アーチ、ボストンのハーバード・メディカル・スクール
パンテオンからトラヤヌス帝の記念柱、ロンドンのマーブル・アーチ、マサチューセッツ州のハーバード・メディカル・スクールまで、カッラーラの大理石が建築に使われてきた。
ハーバードの医学部の建物にもビアンコカララが届いていたとは、意外な行き先だ。

現代、世界に広がるビアンコカララ
ビアンコカララの行き先は現代も広がり続けている。
ドバイの超高層ビルの床。
上海の高級ホテルのロビー。
ニューヨークの億ションのバスルーム。
東京の商業施設のカウンター、
世界中の高級インテリアに、カッラーラの白い石が届いている。
ミケランジェロはカッラーラの石をダビデに変えた。
現代の建築家は同じ石をホテルのロビーに変える。
石の使われ方は変わった。
しかし山は変わらない。
石が語る地図
ティトゥスの凱旋門(ローマ)、
トラヤヌス帝の記念柱(ローマ)、
ピサの奇跡の広場(ピサ)、
フィレンツェ大聖堂(フィレンツェ)、
マーブル・アーチ(ロンドン)、
議会議事堂(ワシントン)、
ハーバード・メディカル・スクール(ボストン)、
そしてミケランジェロのダビデ(フィレンツェ)、ピエタ(バチカン)、モーセ(ローマ)。
この石が行った場所を地図に落とすと、それは人類の2000年分の「大切な場所」の地図になる。
権力の象徴、
信仰の場所、
芸術の頂点、
民主主義の殿堂
人間が「ここが大事だ」と思った場所に、カッラーラの白い石は届け続けた。
そしてその石はすべて、第67話で見た「消えていく山」から来ている。
世界中の「大切な場所」を飾るために、山は少しずつ削られてきた。
削られた山の分だけ、世界に美しいものが増えてきた。
それをどう受け止めるかは、この石を使う私たちに問われている。




















