1944年7月。カッラーラは解放された。
前話(第69話)で書いたように、カッラーラのパルチザンたちがドイツ占領軍を追い出し、街は自由を取り戻した。
しかし戦争は終わっていなかった。
イタリア全土が廃墟の中にあり、カッラーラも例外ではなかった。
工場は破壊され、道路は爆撃で寸断され、港湾施設は機能を失っていた。
何より、市場が消えていた。
戦争中、大理石の需要は事実上ゼロになっていた。
しかし石の山は残っていた。
そこから、カッラーラの復活が始まった。
イタリアの「経済の奇跡」とビアンコカララ
1950年代から60年代、イタリアは「ミラコロ・エコノミコ(経済の奇跡)」と呼ばれる急速な経済成長を遂げた。
農業国から工業国へ、貧しい国から豊かな国へ。
イタリアは10年足らずでその姿を変えた。
この成長の波がカッラーラにも押し寄せた。
戦後の復興需要が大理石への需要を生んだ。
破壊された建物を再建するために、公共施設や記念碑に石が使われた。
イタリア国内だけでなく、戦争で荒廃したヨーロッパ全体の復興需要が、カッラーラの採石場を再び動かした。
採掘量は急増した。
戦前の水準を超え、年々記録を更新した。
第66話で書いたダイヤモンドワイヤーソーの普及もこの時期に始まった。
新しい技術が採掘速度を引き上げ、「経済の奇跡」の建設ラッシュに石を供給し続けた。

ヘンリー・ムーアが「お菓子屋の窓を見た子どものようだった」
戦後の復興期、カッラーラにもう一つの復活が訪れた、現代芸術家たちの「発見」だ。
1957年、イギリスの彫刻家ヘンリー・ムーアがカッラーラのすぐ西隣、ピエトラサンタを訪れた。
目的はパリのユネスコ本部に設置する「横たわる人物像(リクライニング・フィギュア)」の制作だった。
アプアン・アルプスの採石場を初めて目にしたムーアは、こう言った。
「まるでお菓子屋の窓を見た小さな子どものようだった」。
ムーアはたちまちこの地に恋し、フォルテ・デイ・マルミに家を買った。
そして彼の存在が、世界中の現代芸術家をカッラーラへ引き寄せた。
ジャン・アルプ、ホアン・ミロ、イサム・ノグチ、20世紀を代表する彫刻家たちが次々とこの山を訪れ、ビアンコカララで作品を作った。
ミケランジェロ以来500年ぶりに、世界最高の芸術家たちがカッラーラの山に集まってきた。

ボテロがピエトラサンタに家を買った
コロンビア出身の彫刻家フェルナンド・ボテロは1980年代初頭にピエトラサンタに家を買い、以来この地を拠点に制作を続けた。
豊満な曲線を持つボテロの人物像は、ビアンコカララの滑らかな白と完璧に調和した。
ピエトラサンタのミゼリコルディア教会には、ボテロが描いたフレスコ画が2点残っている。
「カッラーラの近くで仕事をすることは、石の質と職人の技術の両面で、他のどこでもできないことを可能にする」、ボテロはそう語った。
ボテロの成功はさらに多くの芸術家をこの地へ呼び込んだ。
ピエトラサンタとカッラーラは「彫刻家の聖地」として世界に知られるようになった。

2025年の映画『ザ・ブルータリスト』
戦後のカッラーラと現代芸術の関係を描いた作品が、2025年のアカデミー賞で注目を集めた。
映画『ザ・ブルータリスト(The Brutalist)』
ブレイディ・コーベット監督、アドリアン・ブロディ主演。
ホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家ラズロ・トートがアメリカに渡り、ブルータリズム建築の巨匠として認められていく物語だ。
映画の終盤、トートが手がける最大のプロジェクト、記念碑的な大聖堂の建設のクライマックスシーンが、カッラーラの採石場で撮影された。
主人公と資産家のパトロンが、白く切り立った採石場の断崖を降りていく。
純白のビアンコカララの壁に囲まれた採石場の景観が、映画の圧倒的なビジュアルの核となった。
ブルータリズム建築は戦後の廃墟から生まれた建築様式、コンクリートの生の質感を前面に出す。
だが、映画の中の大聖堂の祭壇は純白のビアンコカララで作られる。
戦後の破壊と再生の物語に、カッラーラの石が選ばれた。




大理石産業の近代化と、光と影
経済の奇跡の時代、カッラーラの採石場は急速に近代化した。
ファンティスクリッティ採石場は1930年から1971年まで操業したカッラーラ最大の採石場で、近代的な機械が初めて本格導入された場所だ。
1985年に採掘を終了し、現在は博物館として一般公開されている。
ここでローマ時代の採掘道具から現代の機械まで、技術の変遷が展示されている。
しかし近代化は光と影を同時にもたらした。
採掘量の増大が山の環境破壊を加速し(第67話)、大企業による採石場の寡占が進み、地元の小規模石工の経営が圧迫された。
「経済の奇跡」の恩恵を最も受けたのは大企業であり、カッラーラの労働者ではなかった。
かつてアナキストが訴えた「富は山から出ていくが地元には残らない」という構造が、より大規模に繰り返された。
廃墟から芸術の聖地へ
1944年の解放から80年。
カッラーラは廃墟から復活し、経済の奇跡に乗り、世界の芸術家を引き寄せ、映画の舞台になった。
ヘンリー・ムーアがお菓子屋の窓を見た子どものような目でアプアンの採石場を見上げた1957年から今日まで、この山は芸術家を魅了し続けている。
ミケランジェロが22歳で馬に乗ってやってきた1497年から数えれば、500年以上にわたって世界の芸術家がカッラーラの白い山に引き寄せられ続けている。
戦争も、
ファシズムも、
爆撃も、
山を止めることはできなかった。
白い石は今日も切り出され、世界へ届け続けている。




















