戦後のイタリアでそう言われた時代があった。
ムッソリーニがビアンコカララを宣伝道具に使ったこと(第69話)の反動で、戦後の前衛芸術家たちは大理石を避けた。
コンクリート、鉄、プラスチック、廃材、現代アートは「古い素材」から距離を置こうとした。
白い石は「体制の象徴」として疎まれた。
しかしカッラーラの山は、そんな評判など意に介さなかった。

「ファシズムの素材」を「現代アートの素材」に、カッラーラ彫刻ビエンナーレ
1957年、カッラーラ市は決断した。
「カッラーラ国際彫刻ビエンナーレ」の開催、その目的は明確だった。
ムッソリーニによってファシズムのプロパガンダと結びついてしまった大理石のイメージを刷新し、現代芸術の素材として「再生」させること。
ファシズムに汚された白い石に、新しい意味を与えること。
ビエンナーレは大きな成功を収めた。
世界中の彫刻家がカッラーラに集まり、ビアンコカララで作品を作った。
受賞作品は市が買い取り、今日のカッラーラ現代美術館(mudaC)のコレクションの核となった。
2年ごとに開催されるこのビエンナーレは、カッラーラを現代彫刻の世界地図の中心に置き続けている。
白い石は、ファシズムの宣伝道具から現代芸術の素材へ、わずか十数年で意味を塗り替えた。
ヤゴ、「現代のミケランジェロ」
現代のカッラーラが生んだ最も注目すべき芸術家のひとりが、ヤゴ(Jago)だ。
本名ジャコモ・ピッツァ、1987年生まれ。
ビアンコカララだけを使って制作する彫刻家で、「現代のミケランジェロ」と呼ばれる。
2011年、24歳のヤゴは第54回ヴェネツィア・ビエンナーレに出展した最年少アーティストとなった。
彼の代表作「アベムス・ホミネム(Habemus Hominem)」は、ミケランジェロのピエタを現代的に再解釈した彫刻だ。
他の彫刻家が「欠陥がある」として断った大理石ブロックを、ヤゴは自分の作品に変えた。
ヤゴの彫刻は超写実的で、大理石でありながら皮膚の質感や血管の細部まで表現する。
「私はミケランジェロの技術を学んだが、ミケランジェロの主題は使わない。
私のテーマは今日の人間だ」彼はそう言う。
ミケランジェロが22歳でポルヴァッチョ採石場に来た1497年から500年以上後、別の若い彫刻家が同じ山の石で、全く異なる時代の人間を彫っている。


カッラーラの職人工房、世界の芸術家が集まる理由
現代のカッラーラには、世界中から芸術家が集まる理由がある。
石だけではない。
カッラーラには200を超える石材加工工房がある。
伝統的な手彫り技術を持つ職人から、最新のCNCマシンまで。
あらゆる規模と技術の加工業者が集積している。
芸術家が設計したデジタルデータを3Dカッティングマシンで石に転写し、その後職人が手仕上げをする。
デジタルと伝統技術の融合がここで起きている。
ウルグアイ出身の彫刻家パブロ・アチュガライは、カッラーラのミケランジェロ採石場との長年の信頼関係を持つ。
「大理石が私を呼んでいた、そう感じた」と彼は語る。
モニュメンタルな作品を作るための高品質なブロックを確保するために、時には2年間待つこともある。
「カッラーラ・スタジ・アペルティ(カッラーラ工房開放)」というイベントでは、毎年世界中の観光客と芸術家が職人の工房を訪問できる。
石を彫る音、粉塵の白さ、職人の手の動き、ミケランジェロが歩いた街で、今日も石が生きている。
三つの美術館、石の街の文化施設
現代のカッラーラには、街の規模に不釣り合いなほど充実した文化施設がある。
mudaC(現代美術館)
17世紀の修道院を改装した建物に、歴代のカッラーラ彫刻ビエンナーレの受賞作品を収蔵。
ヘンリー・ムーア(第70話)の作品もここにある。
カルミ美術館(CARMI)
ヴィラ・ファッブリコッティに位置し、ミケランジェロとカッラーラの関係に特化した展示。
周囲のパドゥラ公園は2002年の彫刻ビエンナーレで再設計された屋外美術館だ。
アカデミア・ディ・ベッレ・アルティ(美術アカデミー)
第65話でエリザ・ボナパルトが設立したあの施設が、1769年から今日まで芸術教育の場として機能している。
カノーヴァの石膏型コレクションをはじめ、膨大な作品と教材が保存されている。
世界中から彫刻を志す学生が集まる。
ミケランジェロから、ヤゴまで
1497年に22歳のミケランジェロがカッラーラに来てから、500年以上が経った。
その間、
ルネサンスの彫刻家が来て、
バロックの建築家が来て、
アナキストが採石場で働き、
ナポレオンの妹が産業を育て、
ファシストが宣伝道具に使い、
戦後の彫刻家たちがイメージを塗り替え、
現代の若い彫刻家が「現代のミケランジェロ」と呼ばれるようになった。
石は変わらない。
白く、硬く、2億年前の海底で生まれた石が、今日も職人の工房で削られ、芸術家の手で形を与えられ、世界中に届けられている。
カッラーラはただの採石場の街ではない。
2000年分の芸術の記憶が積み重なった、生きた美術館だ。




















