ブレッチア・パラディソ、イタリアン・ブラウンとも呼ばれるこの石は、トスカーナ州ルッカ県スタッツェーマで採掘される。
アプアン・アルプスの山腹、カッラーラの白大理石の産地からわずか数十キロのところにある山だ。
ドロマイトと石灰岩の破片が方解石によって固められた、深みのあるブラウンにグレーが混ざり、金色と白の「クモの巣」のような脈が走るブレッチア系の石灰岩だ。
その山の上に、サンタンナという小さな集落がある。

カッラーラの隣の山で
アプアン・アルプスは、大理石の山脈だ。
ミケランジェロが彫刻の石を探してこの山を歩き、ダ・ヴィンチが地図に記し、ローマ皇帝が石切り奴隷を送り込んだ。
カッラーラの白大理石は世界で最も有名な石のひとつだが、同じ山脈の中に、あまり知られていない産地がいくつもある。
スタッツェーマもそのひとつだ。
石切り場は古くから稼働し、ブレッチア・パラディソのブラウンの石がこの山から切り出されてきた。
カッラーラほどの名声はないが、品質は確かで、床材・壁材・カウンタートップとして現代の建築に使われている。
石の名前「パラディソ(楽園)」がどこから来たのか、正確な記録は残っていない。
石の色調が醸し出す温かみと豊かさが、楽園を連想させたのかもしれない。
あるいは石切り場のある谷の地名に由来するのかもしれない。
しかしこの山の名前を知る人々の多くにとって、スタッツェーマという地名は、楽園とは正反対の記憶と結びついている。

1944年8月12日、夜明け前
1944年の夏、アプアン・アルプスはドイツ軍のゴシック・ラインの一部だった。
連合軍の北上を食い止めるために構築されたこの防衛線の背後では、イタリアのパルチザン(抵抗運動)が活発に活動していた。
ドイツ軍はパルチザン掃討を名目に、山の集落を次々と「反撃」の標的にした。
8月12日、夜明け前。
ドイツ武装親衛隊(ヴァッフェンSS)第16装甲擲弾兵師団の部隊が、スタッツェーマ村の一集落・サンタンナへの山道を登り始めた。
村はすでに「白区域(非戦闘地域)」に指定されていた。
にもかかわらず、兵士たちは銃を持って家々に踏み込んだ。
村の男たちのほとんどは前夜、パルチザンに合流するために山を去っていた。
残っていたのは女性、子供、老人だけだった。
虐殺は数時間続いた。
約560人の村人と難民が殺され、遺体は焼かれた。
130人以上が子供だった。
妊娠中の女性8人が、お腹の子ごと殺された。
最年少の犠牲者は生後20日の赤ちゃん、アンナ・パルディーニだった。
イタリアにおけるドイツ軍の民間人虐殺としては、第二次大戦中で二番目の規模だった。
50年間、「恥の戸棚」に隠されていた
戦争が終わった。
復興が始まった。
しかしサンタンナの虐殺は、長い間正式に裁かれなかった。
1994年、ローマのパラッツォ・バロラーノの一室で、木製のキャビネットが発見された。
中には695件の戦争犯罪に関するファイルが隠されていた。
サンタンナを含む、イタリア各地での民間人虐殺の記録だ。
これらのファイルは戦後間もなく作成されたものだったが、50年近くにわたって意図的に隠されていたと見られた。
「アルマーディオ・デッラ・ヴェルゴーニャ(恥の戸棚)」
イタリアのメディアはこのキャビネットをそう呼んだ。
冷戦の政治的思惑から、西ドイツとの関係を悪化させないために、証拠が埋められていたのだと言われた。
ファイルの発見後、イタリアの軍事法廷はSSの将校たちを欠席裁判で有罪とし、終身刑を宣告した。
しかしドイツはイタリアからの犯罪人引渡し請求を拒否した。
2012年、ドイツの検察当局は証拠不十分として捜査を打ち切った。
当時まだ生存していた元SS兵士8人は、法的な裁きを受けることなく、天寿を全うした。
虐殺の生存者のひとり、エンリコ・ピエリは当時10歳だった。
「あの朝、私は母と二人の姉妹と食卓で朝食を食べていた。
ドイツ兵が入ってきて、隣の家の台所に集まるように言った」と彼は語り続けた。
生涯をかけて、記憶を語り続けた。
「楽園」の名の山に、平和公園が生まれた
2000年、サンタンナはイタリア国立平和公園(パルコ・ナツィオナーレ・デッラ・パーチェ)に指定された。
虐殺の現場に、記念碑と博物館が建てられた。
毎年8月12日に追悼式典が行われ、生存者、遺族、各国の代表者が集まる。
かつての小学校が博物館になった。
展示は虐殺の記録と、イタリア抵抗運動の歴史を伝える。
入口には、生後20日で殺されたアンナ・パルディーニの名前が刻まれている。
ブレッチア・パラディソの採石場は、この山のどこかに今も存在する。
石は変わらず切り出され、世界のどこかの建物の床や壁になっている。

「楽園」という名前について
ブレッチア・パラディソ、楽園のブレッチア。
石の名前は、石の色と模様から来ている。
温かみのあるブラウン、金色の脈、クモの巣のような白い線。
確かに豊かで美しい石だ。
「楽園」という名前が似合う。
しかしこの石が採れる山の名前を検索すると、スタッツェーマという地名とともに、1944年8月12日という日付が必ず出てくる。
石は知らない。
自分が採られる山の上で何が起きたかを、石は知らない。
ただそこにあり、切り出され、磨かれ、どこかへ運ばれる。
「楽園」という名前を持ったまま。
石に罪はない。
しかし産地を知ることは、石の重さを知ることだ。
このシリーズを通じて私が伝えたいのは、そのことかもしれない。


ブレッチア・パラディソ(イタリアンブラウン)は、ブラウン系の色調と複雑な脈模様が特徴のイタリア産天然石です。


















