【大理石の物語 94】バサルティーナと、死にゆく町

イタリア中部、ローマの北およそ120キロ。深い峡谷の上に、崩れかけた土の柱が一本立ち、その頂に小さな町がしがみついている。チヴィタ・ディ・バーニョレージョ。毎年数十万人が橋を渡って訪れるこの町は、「死にゆく町(la città che muore)」として知られている。

二千五百年前にエトルリア人が築いたこの町は、長い年月をかけて、崖ごと少しずつ谷へ崩れ落ちてきた。かつて隣町とを結んでいた地続きの尾根は、とうに侵食で削り取られ、いまはコンクリートの細い徒歩橋が一本、唯一の入口として架かっているだけだ。車は入れない。荷物はバイクや手押しで運ぶ。常住する人は、もう十数人しかいない。

この、消えゆく町のすぐ足元から、まったく正反対の運命を背負った石が切り出されている。バサルティーナだ。
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ

灰色の溶岩石


バサルティーナは、ボルセーナ湖を望むバーニョレージョ一帯で採れる、灰色の溶岩石である。その色は、乾いたセメントのように静かで均質だ。派手な模様も、華やかな脈もない。だからこそ、装飾を削ぎ落とした現代建築が好んで選ぶ。主張しない灰色は、空間そのものを引き立てる。

硬さは御影石に並ぶほど。それでいて表面をよく見ると、小さな穴が点々と散っている。溶岩が地表で急に冷え固まったとき、抜けきれずに残ったガスの泡が、そのまま石に閉じ込められた痕だ。緻密でありながら、多孔質。その多孔ゆえに音を吸い、足音を柔らかくする。硬い石なのに、どこか静かなのである。
バサルティーナ 採石場

玄武岩と呼ばれない玄武岩


この石は、市場では「バサルト(玄武岩)」の名で流通している。名前からして、そう名乗っている。ところが岩石学の目で見ると、バサルティーナは厳密には玄武岩ではない。白榴石(ロイサイト)を含むテフライト。中部イタリアの火山がつくる、玄武岩とはまた別の系統の火山岩なのだ。

この「名前と地質のずれ」には、本シリーズで幾度も出会ってきた。大理石として売られるアズール・マカウバスが実はクォーツァイトであり、ロッソ・アリカンテが石灰岩であったように。市場は見た目と商いによって石に名を与え、大地は生まれによって石を分ける。その二つは、しばしば食い違う。バサルティーナもまた、そのずれを名のうちに抱えた石である。

ローマの道の色


溶岩石は、イタリアにとって特別な石だ。大理石やトラバーチンが神殿や建物の壁を飾ったとすれば、黒い溶岩石が担ったのは、足元、道だった。古代ローマの街道を舗装した黒々とした敷石(バゾリ)は、まさにこの種の火山岩である。表面の華やかさではなく、踏まれ、轢かれ、二千年を耐える強さ。溶岩石とは、そういう役目の石だった。

(正確を期せば、アッピア街道の敷石そのものはローマ南方アルバーノ丘陵の溶岩で、北方ヴルシーニのバサルティーナとは丁場が違う。だが両者は、中部イタリアの同じ火山活動が生んだ、同じ一族の石である。)

一つの火山が、分けた運命


さて、話を「死にゆく町」へ戻そう。

バサルティーナを生んだのは、ヴルシーニ火山群。ヨーロッパ最大級のカルデラ湖、ボルセーナ湖をつくった、あの火山だ。そして、ここが肝心なのだが、チヴィタ・ディ・バニョレージョがしがみつく土の柱もまた、同じヴルシーニの火山が吐き出したものなのである。

ただし、生まれた石の質が違った。
片や、地表を流れて冷え固まった、硬く緻密な溶岩=バサルティーナ。
片や、噴煙が降り積もって固まった、柔らかく脆い凝灰岩。
前者は御影石のように帝国よりも永く残り、
後者は雨と風に一粒ずつ崩され、町ごと谷へ滑り落ちていく。

同じ火から、耐久と消滅という二つの石が生まれた。
そしてその二つが、バニョレージョという一つの土地で、隣り合っている。

町の名の由来もまた、どこか象徴的だ。
「バニョレージョ」は“王の湯(Balneum Regio)”温泉に発すると伝えられる。火山はこの地に熱い湯を湧かせ、硬い石を残し、そして脆い足場を与えた。恵みと滅びを、同じ手で配ったのだ。

一六九五年の大地震は、その崩壊を決定的に早めた。司教も役所も安全な隣町へ移り、人々は去っていった。ルネサンスの館が、正面の壁だけを残して、その奥を谷へ落としている。この地に生まれた聖ボナヴェントゥラの生家の跡も、とうに崖の下だ。それでも町は、まだ完全には死んでいない。橋を渡って訪れる者を、いまも静かに迎え続けている。

火が、決める


私たちが床や壁のために切り出すバサルティーナは、適切な環境では、何世紀にもわたって姿を保つ。その同じ火山が、すぐ隣で、自らの名を分け合う町を、いままさに溶かし続けている。

そして中部イタリアの、この同じ火山活動が、地下ではCO₂を含む熱水を温め、やがて別の土地にトラバーチンを堆積させてゆく。それは、次に始まる特集で辿ることになる石の話だ。火は、地表に硬い溶岩を残し、地下で湯を沸かして石を育て、そして脆い足場を崩す。何が残り、何が消えるのかを決めているのは、いつも同じ一つの火なのである。

死にゆく町へ続く徒歩橋を渡るとき、足の下にあるのは崩れゆく凝灰岩、すぐ傍の丁場にあるのは永く残る溶岩石。同じ火山が出した、正反対の二つの答えのあいだを、人は歩いていく。

次回は、この惑星そのものを組み立てている黒い石、バサルトブラックへ。

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