【大理石の物語 23】2500年間、同じ山から掘り続けているペンテリコンの大理石

パルテノン神殿を建てた石は、アテネの北東17キロにあるペンテリコン山から切り出された。

そして今も、同じ山から石が掘り出されている。
パルテノンの修復工事のために。

2500年前の職人と、今の職人が、同じ山の同じ地層から石を切り出している。
これほど長く、これほど一貫して使われ続けた採石場は、世界にほとんど存在しない。
ペンテリコンのスラブ材

石の色は「白」ではなく「黄金」だった


ペンテリコン大理石は「白い大理石」として知られているが、正確には違う。

微量の酸化鉄を含むため、純粋な白ではなく、かすかな黄色みを帯びている。
陽光の下では金色に輝く。

古代アテネ人がこの石を選んだのは、その光学的な特性ゆえだ。

太陽の光を受けたパルテノンは、白く輝くのではなく、温かみのある金色の光を放った。
アテネのアクロポリスに立って神殿を見上げる者は、「神の住まいにふさわしい輝き」を感じた。
石の色が建築の神性を演出していたのだ。

また、この石は時間とともに変化する。
採掘直後は明るいクリーム色だが、長い年月をかけてゆっくりと飴色に変わっていく。
2500年を経たパルテノンの古い石と、現代に切り出した新しい石を並べると、色が違う。
修復工事の職人たちはその色の差に常に向き合っている。

17キロの輸送路と1万2500枚の石


紀元前447年、ペリクレスの指揮のもとパルテノン建設が始まった。
設計はイクティノスとカリクラテスの二人の建築家、彫刻監督はフィディアスが務めた。

石の調達から始めなければならなかった。
ペンテリコン山の採石場から、アクロポリスまでの距離は約17キロ。

現代の感覚では「近い」が、12トンもある大理石のブロックを運ぶとなれば話が違う。
牛が引く荷車、木製のクレーン、人力。
古代の職人たちはこの距離を、重力を味方につけながら下り坂のルートを選んで石を運んだ。
主任修復建築家のマノリス・コレスは、この古代の輸送路を丹念に調査し、著書「ペンテリコンからパルテノンへ」にまとめた。

パルテノン神殿には、1万2500枚以上の大理石ブロックが使われた。
建設期間は9年。紀元前438年に完成した。
ペンテリコン採掘場
アテネ北東のペンテリコン山。
古代の採石場跡が今も残り、現代の採掘も同じ山の別の区画で続いている。
古代の採石場は法律で保護され、アクロポリス修復プロジェクト専用の石材供給源として管理されている。

パルテノンを壊したのは「修復」だった


パルテノンの受難は長い。

パルテノンは、教会になり、モスクになり、戦争で爆破され、彫刻を持ち去られた。
2500年の間に、幾度も傷つけられてきた。

だが最も深刻な損傷を与えたのは、「修復しようとした人間」だった。

1898年から第二次世界大戦前にかけて、ギリシャ人建築家のニコラオス・バラノスが精力的な修復工事を行った。
崩れた石を積み直し、鉄製のクランプで固定した。

だが彼は致命的なミスを犯した。
古代の職人たちは鉄のクランプに鉛を塗って防錆処理をしていた。
バラノスはその処理を省いたのだ。

雨水が鉄に浸み込み、錆が広がり、膨張した鉄がパルテノンの大理石を内側から割った。
100年もたたないうちに、バラノスの修復箇所は神殿を崩壊寸前にまで追い込んでいた。

「修復が破壊した」これが1975年に本格的な修復プロジェクトが始まった直接の理由だ。

鉄からチタンへ、現代の修復の哲学


1975年にギリシャ政府が開始したアクロポリス修復プロジェクト(ARP)は、当初「10年で完了」と見込まれていた。
しかし始めてみると、問題は予想をはるかに超えていた。

まずバラノスの鉄クランプをすべて取り除く作業から始めなければならなかった。

次に、散乱した何万ものブロックを一つひとつ記録し、元の位置を特定してはめ込んでいく。
まるで巨大な3Dジグソーパズルだ。
1980年代以降、研究者たちが記録・特定した散乱ブロックは数万点にのぼる。

新しい固定には、チタン製のクランプと棒が使われている。
チタンは錆びない。腐食しない。膨張しない。

そして将来の修復者が取り外せるよう、可溶性の白いセメントで固定されている。
「将来の技術に委ねる余地を残す」という謙虚な姿勢が、現代の修復哲学の核心にある。
パルテノン神殿の修復工事
修復工事が続くパルテノン神殿。
1975年に開始されたアクロポリス修復プロジェクトは、建設にかかった時間(9年)の3倍以上の年月をすでに費やしている。
鉄のクランプをチタンに置き換え、散乱したブロックを元の位置に戻す作業は今も続いている。 そしてここに、ペンテリコン山が再び登場する。

修復に必要な新しい石材は、同じペンテリコン山から採掘される。
古代の採石場は法律で保護され、アクロポリス修復プロジェクト専用の供給源として管理されている。
現代の修復職人は、2500年前の職人と同じ山の石を使って、同じ建物を直している。

今、石は大気汚染と戦っている


修復の最大の敵は、今や爆発でも略奪でもない。空気だ。

20世紀後半のアテネは深刻な大気汚染に悩まされた。
自動車の排気ガスや工場煙に含まれる二酸化硫黄や窒素酸化物が雨に溶け込み、酸性雨となってパルテノンに降り注いだ。

酸が大理石(炭酸カルシウム)を硫酸カルシウム(石膏)に変え、表面が粉のように剥落していった。
彫刻の精細なレリーフが、数十年で失われていった。

アテネの大気汚染はその後規制で改善されたが、損傷の一部はすでに取り返しがつかない。
現在、最も傷んだ彫刻はアクロポリス博物館の室内に移され、神殿には複製が設置されている。

2500年後も続く「ペンテリコンからパルテノンへ」の旅


パルテノン修復プロジェクトが始まってすでに半世紀。
建設にかかった9年の3倍以上の時間を、すでに修復に費やしている。
それでもまだ終わっていない。

ペンテリコン山の採石場では今日も、同じ地層から石が切り出されている。
古代の職人が鉄のノミと木のハンマーで切り出したのと同じ石が、現代の機械で採掘され、チタンのクランプと共にパルテノンに組み込まれていく。

一枚の新しい石の中に、2500年の時間が重なる。

「ペンテリコンからパルテノンへ」この旅は、まだ終わっていない。

「今も人類は、同じ山の石を使い続けている」

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