【大理石の物語 69】ビアンコカララと、独裁者の野望

カッラーラの白い山から切り出された大きなオベリスク(方尖柱)が、ローマに今も立っている。

高さ約17メートル、重さ推定300トン
カッラーラ産としては史上最大の一枚岩から切り出されたこのオベリスクの側面には、大きな文字が刻まれている。
「MVSSOLINI DVX(ムッソリーニ 指導者)」
ローマのフォロ・イタリコ(旧フォロ・ムッソリーニ)の入口に、今日も堂々と立っている。

ミケランジェロが愛し、アナキストが守り、2000年の歴史を持つビアンコカララが、ファシズムの宣伝道具にもなった。
オベリスク

「古代ローマの継承者」という幻想


ベニート・ムッソリーニは権力を握った瞬間から、自分をローマ皇帝の後継者として演出しようとした。

古代ローマの建築
神殿、凱旋門、フォルム、オベリスク、をモデルに、新しい建物を建てた。
しかし単なる模倣ではなく、古典的な形式に「ファシスト的な簡潔さ」を組み合わせた独自のスタイルが生まれた。
装飾を極限まで削ぎ落とした新古典主義「イタリア・ラショナリズモ(合理主義)」と呼ばれるこの建築様式が、ムッソリーニ時代のローマを変えた。

そしてその建築の主要素材として選ばれたのが、ビアンコカララだった。
古代ローマ皇帝が使った石と同じ石で、自分の威光を示そうとした。

フォロ・イタリコ、大理石の競技場


1928年から建設が始まったフォロ・ムッソリーニ(現フォロ・イタリコ)は、ローマ北部テヴェレ川沿いに作られた巨大なスポーツ複合施設だ。
ムッソリーニは「皇帝たちがフォルムを持つなら、私もフォルムを持つ」と言ったとされる。

施設の入口に立つのが、先述のビアンコカララの巨大オベリスク、カッラーラ史上最大の一枚岩から切り出された、重さ300トンの白い石柱だ。
ローマが古代エジプトから奪ってきたオベリスクに倣いながら、しかし「MVSSOLINI DVX」の文字を刻んだ。
古代への敬意と、現代の独裁者への奉仕が、同じ石の上に共存している。

フォロ・イタリコの競技トラックを囲む「スタディオ・デイ・マルミ(大理石の競技場)」には、ビアンコカララで作られた60体の運動選手の像が並ぶ。
それぞれがイタリアの異なる都市と地方を象徴し、理想の肉体を誇示するファシズムが「強い身体=強い国家」という思想を、白い石に刻み込んだ。

今日、フォロ・イタリコは現役のスポーツ施設として使われている。
テニスの全伊オープンがここで開催され、毎年何万人もの観客が訪れる。
「MVSSOLINI DVX」のオベリスクは今も入口に立ったまま、変えられていない。
スタディオ・デイ・マルミ

EUR地区、幻の万博のために作られた都市


ムッソリーニの最大の建築的野望が、EUR(エウル)地区だ。

「ファシズム20周年」を記念する1942年の万博のために、ローマ南部に丸ごと新しい街区を建設しようとした。
「第二のローマ帝国」を体現する都市。
整然とした大通り、巨大な建物、対称的な広場で構成される、ムッソリーニが夢見た「未来のローマ」だ。

しかし1939年に第二次世界大戦が始まり、万博は中止された。
建設は途中で止まり、戦後に再開された。

EUR地区で最も有名な建物が「パラッツォ・デッラ・チヴィルタ・イタリアーナ(イタリア文明の宮殿)」通称「コロッセオ・クアドラート(四角いコロッセオ)」だ。
6層の正面に9つのアーチが並ぶ白いキューブ状の建物は、古代のコロッセオへのオマージュでありながら、装飾を徹底的に排した現代的なデザインだ。

建物の6と9という数字には秘密がある。
6と9をかけると54、ムッソリーニの名前「Benito Mussolini」の文字数は合計14文字だが、「Mussolini」の9文字が9列のアーチに対応するという説がある。
独裁者が建物の設計に自分の名前を埋め込んだ。

1階を囲む28体の白大理石の像は、詩、音楽、哲学などの芸術と科学を象徴する。
現在この建物はFENDI(フェンディ)のローマ本社として使われており、ファッション業界がファシズム建築を使うことへの批判と議論を今も呼んでいる。
コロッセオ・クアドラート(四角いコロッセオ)

カッラーラのアナキストたちはどうしたか


第62話で書いたカッラーラのアナキストたちと、ムッソリーニの関係はどうだったか。

当然、真っ向から衝突した。

ムッソリーニがイタリアを掌握すると、カッラーラのアナキスト・組合運動は激しく弾圧された。
指導者たちは逮捕され、投獄され、島流しにされ、あるいは国外に脱出した。

採石場の労働組合は解散させられ、ファシスト系の組合に置き換えられた。
「カッラーラでは石までアナキストだ」と言われた街が、ファシズムの建築用石材を供給する産地になった。

しかし地下では抵抗が続いた。
カッラーラは第二次大戦中のイタリア抵抗運動(パルチザン)の重要な拠点となり、1944年には「カッラーラ解放」を実現した。
ムッソリーニが失脚した後も、ドイツ軍が占領を続けていたが、パルチザンがこれを解放した。
白い山の麓のアナキストたちは、最後まで屈しなかった。

石は選ばない


ビアンコカララはミケランジェロのダビデにも、ムッソリーニのオベリスクにもなった。
アウグストゥスの神殿にも、アナキストの街の床にも使われた。
エリザ・ボナパルトのアカデミーにも、独裁者の「四角いコロッセオ」にも届いた。

石は選ばない。
誰が使うかを、何のために使うかを、石は問わない。

カッラーラの白い山は、人類の最善と最悪の両方に、等しく石を届け続けてきた。
それがビアンコカララという石の、逃れられない事実だ。

ビアンコカララについて詳しく見る

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