【大理石の物語 78】大谷石と、大谷観音

大谷石の岩壁に、仏が住んでいる。

宇都宮市大谷町。
大谷資料館のすぐそばに、大谷寺という小さな寺がある。
一見すると普通の古刹だが、本堂の中に入ると、岩壁が迫ってくる。
天井も、壁も、大谷石の岩盤だ。
そしてその岩壁に、高さ4メートルの千手観音像が直接彫り込まれている。

日本最古の石仏、大谷観音だ。
千手観音像

1万1000年前から、人が暮らした洞窟


大谷寺の洞窟から、思いがけないものが出土した。

約1万1000年前の縄文人の人骨と土器だ。

深さ3メートルの地層から発掘されたこの人骨は、身長約154センチの縄文人のもので、この洞窟が石器時代から人間の居住地として使われていたことを示している。

石仏が彫られるよりはるか以前から、大谷石の洞窟は人間の「場所」だった。

縄文人が暮らし、弥生人が通り過ぎ、古墳時代の人々が石棺を作り、奈良時代の人々が国分寺の礎石に使い、そして平安時代に、石の岩壁に仏が彫られた。
大谷石の岩盤は、1万年以上にわたって人間の営みを支えてきた。
縄文人骨

弘法大師が一夜で彫ったとされる観音


大谷観音の縁起は、平安時代初期の弘仁元年(810年)に遡る。
弘法大師(空海)が大谷石の岩壁に千手観音を彫ったのが大谷寺の始まりとされている。

伝説によれば、弘法大師はこの千手観音をひとりで一夜のうちに彫り上げたという。
高さ4メートル、幅2.5メートルの観音像を、松明一本の明かりで、夜通し彫り続けた。
そのような人間業ではない彫刻の速さが、この観音に「神聖な力」を宿らせたと人々は信じた。

ただし近年の研究では、弘法大師作という伝承に疑問が呈されている。
一部の研究者は、バーミヤン石仏との共通点から、シルクロードを経て伝わった石仏技法の影響を指摘している。
はるかシルクロードを経て届いた石仏の技術が、大谷石の岩壁に花開いたというのだ。
また、奈良時代に来日した鑑真和上の弟子・如宝が関与したとする説もある。

誰が彫ったのか、謎は解けていない。
しかしその謎が、大谷観音をさらに神秘的なものにしている。

金色に輝いていた観音


今日、大谷観音の岩肌はむき出しの石の色をしている。
しかし最初はそうではなかった。

彫刻された表面に赤い朱が塗られ、粘土で細かな化粧が施され、さらに漆が塗られ、最後に金箔が押された。
完成当初の大谷観音は、金色に輝く仏だった。
暗い洞窟の中で金色に光る4メートルの観音像がどれほど荘厳な光景だったか、今の姿からは想像もできない。

時とともに金箔は剥がれ、漆は風化し、今の石肌の姿になった。
江戸時代に徳川家康の長女・亀姫(奥平忠昌の正室)の支援で修理が行われたが、完全な復元はされなかった。

金色の観音を知る人はもういない。
しかし岩壁の石の観音は、1200年以上そこにある。

4組10体の石仏、洞窟の奥へ


大谷観音(千手観音)の周囲には、さらに9体の石仏が彫られている。

伝釈迦三尊像(平安時代後期作)、伝薬師三尊像(平安時代初期作)、伝阿弥陀三尊像(鎌倉時代作)4組10体の磨崖仏が洞窟の岩壁に並ぶ。
これら全体を「大谷崖窟仏」と呼び、国の特別史跡と重要文化財の二重指定を受けている。

薬師三尊像の龕(がん)には扉が設けられていたと思われる穴があり、かつてはそれぞれの仏が扉で保護されていた痕跡が残っている。
大分県臼杵の磨崖仏と並んで「西の臼杵、東の大谷」と称される日本を代表する磨崖仏群だ。
左から伝阿弥陀三尊像、伝薬師三尊像、伝釈迦三尊像
伝阿弥陀三尊像

疾風の地下工場の数百メートル先に平和観音


前話(第77話)で書いた疾風の地下工場から数百メートル。
大谷観音のすぐそばの岩壁に、もうひとつの巨大な石仏がある。

平和観音、高さ27メートル(88尺8寸8分)。
太平洋戦争の戦死戦没者の供養と、世界平和を祈って彫刻された観音像だ。

1948年(昭和23年)から6年の歳月をかけて制作され、
1954年(昭和29年)に完成した。
東京芸術大学教授・飛田朝次郎が設計し、大谷の石工たちが彫り上げた。

27メートルという高さは、圧倒的だ。
岩壁を背に立つ観音像は、大谷の町全体を見下ろしている。
1956年(昭和31年)に日光輪王寺門跡・菅原大僧正による開眼供養が行われて以来、世界平和の祈りの場として多くの参拝者が訪れる。
現在は宇都宮市が管理し、無料で参詣できる。

疾風を作った地下工場と、平和を祈る観音像。
どちらも大谷の石の中にある。
石は戦争の道具も、平和の祈りも、等しく受け入れた。

石に刻まれた、1万年の時間


大谷石の岩壁は、1万年以上にわたって人間の祈りと営みを受け取ってきた。

縄文人が洞窟に暮らし、
平安の仏師が観音を彫り、
鎌倉の武士が霊場として崇め、
江戸の姫が修復を支援し、
戦時中に疾風を隠し、
戦後に平和観音が彫られた。

そして今日、観光客が訪れ、カメラを向け、静かに手を合わせる。

石は何も変わらない。
ただそこにあり、人間の営みを岩肌に受け取り続けている。
大谷観音の千手は、1200年前と変わらず、石の中から伸びている。
ダイヤ挽き 細目(さいめ)

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