【大理石の物語 105】トラバーチン特集 第4話 トラバーチンと、ベルニーニの伝書鳩、ティヴォリの採石場

ローマから東へ35キロ。ティヴォリという街の外れに、今も稼働し続ける採石場がある。

デジェマル採石場、海面下30メートルまで掘り下げられたその底に、硫黄の温泉が作った青い水溜まりが光り、33トンの石のスラブを乗せたトラックが地上へ向かって上っていく。
採石場の周囲は硫黄の臭いが立ち込め、巨大なジャックハンマーが岩盤を砕く音が絶え間なく響いている。

この採石場に、一棟の古い農家が残っている。17世紀のバロック建築の巨人、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが所有していた家だ。
そしてその家には今も、鳩小屋が残っている。
ティヴォリの採石場

ベルニーニはなぜ伝書鳩を使ったのか


ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598〜1680年)
彫刻家にして建築家、バロック時代のローマを定義した人物だ。
サン・ピエトロ広場の列柱廊、サン・タンドレア・アル・クイリナーレ教会、トレヴィの泉のデザイン原案、バルダッキーノ(サン・ピエトロ大聖堂の青銅の天蓋)、ローマのバロック建築の最高傑作のほぼすべてにベルニーニが関わっている。

そのベルニーニが、サン・ピエトロ広場の列柱廊のためのトラバーチンを選ぶためにティヴォリの採石場に通い詰め、採石場を見下ろす場所に家を買った。
284本の柱と88本の角柱、それだけの石を選ぶためには、何度も何度も採石場に足を運ぶ必要があった。

しかし17世紀のローマとティヴォリの間に電話はない。
石の寸法の変更や追加注文をどうやって採石場に伝えるか。
ベルニーニが使ったのが、伝書鳩だった。

採石場の現在のオーナー、ヴィンチェンツォ・デ・ジェンナーロは、ベルニーニの塔には今も伝書鳩のための鳩小屋が残っており、ローマから採石場へ石の寸法の注文を運ぶために使われていたと訪問者に説明している。

サン・ピエトロ広場の列柱廊に立つとき、バチカンの楕円形の広場を両腕で抱きしめるような284本の柱を見上げるとき、その石はベルニーニの伝書鳩が運んだ注文票によって切り出されたものだ。
サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ広場の列柱廊
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ

温泉が育てた石


第1話で見たように、トラバーチンは温泉が作る石である。

ティヴォリもまた、かつて火山活動が盛んだった土地だ。地下で温められた温泉は、カルシウムを豊富に含んだまま地表へ湧き出し、二酸化炭素を放出しながら炭酸カルシウムを析出させる。その営みが数十万年続いた結果、この地には世界でも屈指のトラバーチンの鉱床が育まれた。

ティヴォリの石が特別なのは、その規模だけではない。切り出した直後は柔らかく加工しやすく、外気に触れると次第に締まって強度を増す。この性質が、古代ローマの建築家からベルニーニまで、多くの石工たちに愛されてきた。

「採りたては刻みやすく、建物になると強くなる。」

トラバーチンは、建築家にとって理想的な石だったのである。

その名の由来も、この土地にある。

古代ローマではこの石を「ラピス・ティブルティヌス(ティブルの石)」と呼んだ。ティブルとは、ティヴォリの古い町の名。その呼び名は時代とともに変化し、やがて現在の「トラバーチン(travertino)」となって世界へ広がっていった。

ハドリアヌス帝も、この石を選んだ


ベルニーニより千五百年も前、この土地の石に魅せられた皇帝がいた。
ハドリアヌス帝である。
ティヴォリ郊外に築かれたヴィラ・アドリアーナは、神殿や劇場、浴場、庭園を備えた、古代ローマ最大級の別荘だった。帝国各地を旅した皇帝は、心に残った建築や風景を、この一つの別荘に再現させようとした。

その壮大な建築群を支えたのも、ティヴォリのトラバーチンだった。
採石場から数キロという近さは、この地が別荘地として選ばれた理由の一つでもあったのだろう。

現在、世界遺産となったヴィラ・アドリアーナには、今もトラバーチンの柱や壁が静かに残っている。
同じ町に、
皇帝ハドリアヌスの別荘があり、
ベルニーニが伝書鳩を飛ばした農家があり、
そして二千年前から掘り続けられている採石場がある。
ティヴォリという町では、石の歴史そのものが、一つの風景になっている。

今日も同じ採石場から、世界の宗教建築へ


2000年前にコロッセオを作った採石場が、今日も掘られ続けている。

古代ローマを建設した同じ採石場が今日も掘り続けられ、世界中の新しい世代の教会、寺院、モスクを建てるために使われている。
銀行、美術館、政府の建物、個人の住宅にも。

デジェマル採石場のオーナー、ヴィンチェンツォ・デ・ジェンナーロは今年(2026年)、ニューヨークのマンハッタンに建設中のモルモン教会の塔を飾るトラバーチンを出荷した。

コロッセオから
サン・ピエトロの列柱廊へ、
そしてニューヨークのモルモン教会へ
同じ採石場から、2000年で行き先が変わった。

採石場の底では今日も、硫黄の臭いが漂い、ジャックハンマーが岩盤を砕き、33トンのスラブがトラックで地上へ運ばれている。
ベルニーニが伝書鳩で図面を送った採石場で、今日はメールでデータが届く。
石を切り出す方法だけが、2000年で変わった。

硫黄の臭いがする石


トラバーチン・クラシコの暖かみのあるベージュは、温泉の堆積物の色だ。
縞状の模様は、何万年もの時間の積み重なりだ。表面の小さな穴は、温泉から出た気泡の跡だ。

この石を触るとき、
床に貼られたトラバーチンのタイルの上を歩くとき、
足の下に数十万年分の温泉の堆積物があることを想像してみると、石の見え方が少し変わるかもしれない。

ベルニーニの伝書鳩が飛んでいた採石場の石が、今日あなたの家の床にあるかもしれない。
トラバーチン スラブ材

関連するトラバーチンの記事

▶ トラバーチン特集|全9話一覧

【トラバーチン特集 第1話】温泉が石を作る
トラバーチンはどのように生まれるのか。温泉が石になる仕組み。

【トラバーチン特集 第2話】ティヴォリと、名前の生まれた場所
「トラバーチン」という名前は、なぜティヴォリから生まれたのか。

【トラバーチン特集 第3話】ローマは、なぜトラバーチンでできているのか
永遠の都を二千年支え続けた石の物語。

【大理石の物語】コロッセオとトラバーチン
古代ローマ最大の円形競技場を支えたティヴォリ産トラバーチン。

【大理石の物語】パンテオンとローマの石
二千年を超えて残るローマ建築と石材の物語。

【大理石の物語】トレビの泉
ベルニーニの構想が受け継がれたローマを代表する噴水。


トラバーチンについて詳しく見る

▶ トラバーチンとはどんな石か(いしらべ)

▶ トラバーチン・ロマーノの商品ページ(建材ネット)

▶ トラバーチンの商品一覧(建材ネット)

大理石の物語|記事一覧

石と建築、芸術と歴史にまつわる物語。 世界の石は、ただの素材ではない。 そこには歴史と建築、人間の物語が刻まれている。

この記事を書いた人

目次