その理由は、まず単純な地理から始まる。

川が運んだ石
ローマの東、二十数キロの丘陵地帯に、ティヴォリという町がある。ここを流れるアニエーネ川の谷筋に、石灰華のちにラテン語で「ティブルの石(lapis tiburtinus)」と呼ばれ、それが訛って「travertino」となった石の巨大な鉱床が眠っていた。
古代の石工たちは、この石を切り出すと、川岸に掘った溝に木の筏を組んで浮かべ、堰を切って水を流し込んだ。筏はそのままアニエーネからテヴェレへと下り、ローマの街まで運ばれていく。人力で担ぐ必要も、山を越える必要もない。水がすべてを運んでくれる。
同じ時代、大理石は遠かった。カッラーラの白い石を都まで運ぶには、山を下ろし、海を渡らせ、テヴェレを遡らせるという大工事が要る。ギリシャやエジプトの色大理石にいたっては、地中海を横断してくる輸入品だ。運賃だけで元が取れる建築主は限られていた。
トラバーチンは違う。川ひとつで届く「地元の石」であり、公共事業の物量を支えられる、ほとんど唯一の候補だった。
石が背負ったもの
だが近さだけなら、他の石でもよかったはずだ。トラバーチンが選ばれ続けたのには、もうひとつ理由がある。
圧縮の力に強く、割れにくく、大きな規則正しいブロックが安定して採れる、という性質だ。
アーチを組むにも、基礎を支えるにも、これほど都合のいい石はない。コロッセオより百年近くさかのぼる、アウグストゥス期のマルケッルス劇場、のちのコロッセオの外観の原型になったとされる、あの三層のアーチ列も、骨格にはこの石が使われている。
見た目の派手さはないが、上に何を載せても沈まない。ローマの建築家たちは、この石の性質を早くから見抜いていたのだろう。

美しさと、強さの分業
そこから、ひとつの分業が生まれる。
ローマにおいて、大理石は人の目に見える場所へ使われた。壁の表面に薄く貼られ、柱頭を飾り、彫像となって光を受ける。いっぽうトラバーチンは、たいてい人の目には触れない場所で建物を支えた。基礎に、アーチの起点に、壁の芯に。
美しさは大理石が受け持ち、強さはトラバーチンが受け持ったのである。
そしてこの分業には、もう一人の相棒がいた。ローマン・コンクリートだ。火山灰と石灰を練り合わせたあの人工の石は、型に流し込めばどんな形にもなり、固まれば岩のように強い。だが、それだけでは足りない。荷重が集中する要所、アーチの受け、壁の角、床の縁には、切り出した硬い石の塊が要る。そこに据えられたのが、トラバーチンだった。
コンクリートが体積を稼ぎ、トラバーチンが骨を通し、大理石が顔を作る。ローマの建築とは、この三者の役割分担の上に成り立っていた。SPQR、元老院とローマ市民が帝国を統べたというなら、その帝国の建物を実際に立たせていたのは、コンクリートとトラバーチンだったと言っていい。
「大理石の都」と言った男
初代皇帝アウグストゥスは、生涯の終わりに、自らの治世をこう誇ったと伝えられている。私は煉瓦のローマを受け取り、大理石のローマを残す、と。
見事な一句だ。そして、半分だけ正しい。
たしかに彼の時代、都は白い石で飾られた。だが、その白さの多くは表層である。剥がしてみれば、下から出てくるのは煉瓦であり、コンクリートであり、そしてティヴォリから川を下ってきた黄褐色の石だ。彼が「大理石で残した」と誇った建物の重みを、実際に受け止めていたのは、その大理石ではなかった。
古代ローマ人は、大理石を「美しい石」として愛した。しかし都市を支えたのは、大理石ではなかった。
皇帝が変わっても、
教皇が変わっても、
建築様式が変わっても、
いつも変わらず切り出され続けたのは、この地味な石だった。
ローマを支えていたのは、大理石だけではなかった。その足元には、いつもトラバーチンがあった。
二千年、同じ丘から
そしてもうひとつ、この石の物語を特別にしているのは、時間の長さだ。
共和政期の神殿を支えた採石地区は、帝政期にはコロッセオの外壁を支え、その千五百年後、ルネサンスからバロックにかけては、サン・ピエトロ大聖堂の身廊を、ベルニーニの列柱を、トレヴィの泉の岩組みを支えることになる。
政体が変わり、宗教が変わり、様式が変わっても、石を切り出す丘だけはほとんど変わらなかった。
一つの都市が、ほぼ一つの採石場から、二千年にわたって石を引き出し続けている。これは世界的に見てもそう多い例ではない。ローマという都市の連続性は、皇帝の系譜や教皇の系譜だけでなく、この石の採掘史の中にも刻まれている。
なお、コロッセオを覆っていたトラバーチンの大部分は、中世以降に剥ぎ取られ、他の建物へと転用されていった。切り出された石は、一度きりの役目では終わらなかったのである。


永遠の都の足元
ローマは「大理石の都」と呼ばれる。
だが、その白い輝きを支えてきたのは、ティヴォリの丘から川を下ってきた黄褐色の石だった。ローマの表面は大理石でも、その骨格はトラバーチンだったのである。
観光客が見上げる彫刻の白さの下には、川ひとつで運ばれてきた、この地味な石の忍耐がある。
二千年ものあいだ、都市は変わり続けた。それでも同じ丘から切り出された同じ石が、変わらずローマを支え続けてきた。
この町が「永遠の都」と呼ばれる理由は、皇帝や教皇だけではない。
その足元には、二千年ものあいだ、永遠の都を支え続けてきた一つの石があったのである。

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