【大理石の物語 36】岩の花が登った山から、グリジオ・カルニコという石

同じ山から、二種類の石が採れる。

ひとつはフィオル・デ・ペスコ・カルニコ「桃の花」という名の淡いグレーピンクの石。
もうひとつはグリジオ・カルニコ「カルニアのグレー」という名の、深い暗灰色に白い脈が走る石だ。
どちらもフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州カルニア地方のアルプスが生んだ石で、どちらも季節限定でしか採れない。

だがこの山には、石よりも古い話がある。
グリジオカルニコ

標高1,600メートル、夏にしか開かない採石場


グリジオ・カルニコの採石場は、フリウリ・ドロミテ自然公園の内部、標高1,600メートルの山腹にある。
ウーディネ県パルッツァ、ティマウという集落の近く。
オーストリアとの国境まで数キロという場所だ。

この高さにある採石場は、冬の間は雪と氷に閉ざされる。
採掘できるのは雪が解けた夏の数か月だけだ。
フィオル・デ・ペスコと同じ条件で、カルニア・アルプスの厳しい気候が、石の希少性をさらに高めている。

深い暗灰色の地に、白から明るいグレーの太い脈が不規則に走るグリジオ・カルニコは、磨き上げると独特の光沢を放つ。
コンパクトな結晶構造が光を反射し、暗い色であるにもかかわらず、表面が輝くように見える。
ブックマッチ(左右対称に貼り合わせる施工法)にすると、白い脈が蝶の羽のような模様を作り出す。

採石場の足元に、中世の銀山が眠っている


プラモージオ採石場、グリジオ・カルニコを産出するこの場所には、もうひとつの顔がある。

採石場の地下に、中世後期から掘り続けられた銀と銅の坑道跡が残っている。
ティマウ周辺の山々では古代後期から金属が採掘されてきた記録があり、中世には銀と銅を目当てに本格的な採掘が行われた。
その坑道跡の真上に、今のグリジオ・カルニコの採石場がある。

かつて人々がこの山を掘ったのは、銀を求めてだった。
今、人々がこの山を掘るのは、灰色の石を求めてだ。
山は何百年も掘られ続けているが、その理由は時代によって変わった。

「岩の花」と呼ばれた女たちが、この山を登った


1915年、イタリアが第一次世界大戦に参戦すると、カルニア地方は再び最前線になった。
オーストリアとの国境を挟んだ山岳地帯で、イタリア軍とオーストリア=ハンガリー帝国軍が向き合った。

問題は、補給だった。

標高2,000メートルを超える山の頂に展開するイタリア兵に、食料と弾薬を届けなければならない。
馬も荷車も通れない急峻な山道を、毎日。

そこに名乗り出たのは、地元の女性たちだった。

ティマウ、パルッツァ、アルタ・テルメ、カルニア地方の集落から、女性たちが集まった。
「ゲルラ」と呼ばれる背負い籠に弾薬、食料、装備を詰め込んだ。重さは最大40キロ。
それを背負って、標高1,000メートル以上の山岳前線まで毎日歩いて登った。
年齢は12歳から60歳まで。報酬は1回の往復で1.5リラだった。

1915年から1917年の間に、約1,500人の女性がこの任務に就いた。
「ポルタトリーチ・カルニケ(カルニアの運び手女たち)」と呼ばれた彼女たちは、16キロにわたる前線を支え続けた。

兵士たちは彼女たちに花を贈りたいと思ったが、山にバラはない。
代わりにエーデルワイスを手渡しながら言った。

「これがあなたたちだ。岩にしがみついて咲く花。この山にしがみついて、私たちを生かし続けてくれる花だ」

「岩の花(フィオリ・ディ・ロッチャ)」それが彼女たちの呼び名になった。

狙撃手の銃弾が、32歳の母を撃ち抜いた


1916年2月15日。

マリア・プロツネル・メンティル、32歳。ティマウ出身。
4人の子どもを持つ母で、夫は別の戦線に出征中だった。

その日、マリアはいつものように荷を背負って山を登った。
標高1,619メートルのカセーラ・マルパッソまで荷を届けたところで、オーストリアの狙撃兵の銃弾が彼女を撃ち抜いた。

マリアは、前線で命を落とした唯一の女性ポルタトリーチとなった。

彼女の名前はイタリアで長く忘れられていたが、1997年にようやく金勲章が授与された。
パルッツァにはイタリアで唯一、女性の名前を冠した軍の兵舎があった。
マリア・プロツネル・メンティル兵舎。
2016年に老朽化のため取り壊されたが、跡地には記念碑が残っている。

ティマウの広場には、1992年に建てられた記念碑がある。
荷を背負いながら倒れてゆく女性と、それを支える仲間たちの姿が刻まれたブロンズのレリーフ。
2011年、イタリア統一150周年の際に国家記念碑に指定された。

灰色の石が、静かに立っている


グリジオ・カルニコはこれほどの歴史を持つ山から切り出される。

中世には銀を求めて掘られた山。
第一次世界大戦では最前線となり、女性たちが荷を担いで登り続けた山。
そして今は、暗灰色の大理石を産み出す山。

石は何も語らない。
しかしその石が産まれる場所の地面の下には、古い坑道が眠っている。
石が採れる山の稜線には、百年前の塹壕跡が残っている。
石を切り出す道の途中には、荷を背負った女性の記念碑が立っている。

グリジオ・カルニコという名は、「カルニアのグレー」という意味だ。
灰色は、派手ではない。主張もしない。
しかしこの石のグレーには、銀山の歴史と、岩の花たちの記憶が、静かに染み込んでいる。

グリジオ・カルニコは、暗灰色の地に白い脈が走る、イタリアを代表するシックな大理石として知られている。

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