その入り江には、「詩人の湾」という名前がついている。
リグーリア海岸、ラ・スペツィア湾の西端。
チンクエ・テッレの南に位置するポルトヴェーネレの岬から、対岸のレリーチまで弧を描く入り江
「ゴルフォ・デイ・ポエティ(詩人の湾)」。
ダンテ、ペトラルカ、バイロン、シェリー、D・H・ロレンス、ヴァージニア・ウルフ。
時代を超えて詩人や作家たちがここに引き寄せられ、詩を書き、恋をし、そして何人かはここで死んだ。
その岬の断崖の下に、ネロ・ポルトロの採掘場がある。


黒に金が走る、2億年の石
ネロ・ポルトロは、深い漆黒の地に金色の脈が走る大理石だ。
正確には石灰岩の一種で、ジュラ紀(約2億年前)に形成された。
黒色は石に含まれる微細な炭素粒子によるもので、金色の脈は方解石とドロマイトが圧力によって変成したものだ。
「ポルトロ」という名前の由来には二つの説がある。
産地であるポルトヴェーネレの地名に由来するという説と、フランス語の「ポルト・ドール(黄金の扉)」に由来するという説だ。
どちらが正しいのかは定かでないが、「黄金の扉」という名は、この石の見た目をそのまま言い当てている。
採掘場はポルトヴェーネレの岬と、沖合のパルマリア島、ティーノ島の三か所。19世紀には周辺に30か所の採石場が記録されていた。
今や採掘量は大幅に減り、それがこの石の希少性と価格をさらに押し上げている。
1平方メートルあたり80万円を超える場合もある、世界最高級の石のひとつだ。

ヴェルサイユ宮殿と、ウェストミンスター大聖堂と
ネロ・ポルトロがヨーロッパの王侯に愛されたのは17世紀のことだ。
その黒と金の組み合わせは、バロック様式の荘厳な内装に完璧に合った。
ヴェルサイユ宮殿、マルリー城、コンピエーニュ宮殿
フランス王家の居所にこの石が運ばれた。
パリのマドレーヌ寺院、ロンドンのウェストミンスター大聖堂にも使われている。
ローマではサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノの三大バシリカに。
中世のジェノヴァでは街中の教会や宮殿を飾った。
ニューヨークのパラマウント劇場にも渡った。
漆黒に黄金が走るこの石は、時代と場所を問わず、人を圧倒するために使われてきた。


ダンテが『神曲』に書いた断崖
ネロ・ポルトロの採掘場を見下ろす岬に、13世紀に建てられたポルトヴェーネレのサン・ピエトロ教会が立っている。
その教会の足元の断崖を、ダンテ・アリギエーリが訪れたのは1300年代初頭のことだ。
ダンテはこの光景を『神曲』煉獄篇の第3歌に書き留めた。
ヴィルギリウスが登らなければならない山の険しさを、この湾の断崖に例えた。
世界文学の最高峰のひとつに、ネロ・ポルトロの採掘地が顔を出している。
ペトラルカもこの湾の美しさを書き記した。
2人の詩人が絶賛したこの場所に、数百年後、イギリスのロマン派詩人たちがやってくる。


バイロンが9キロを泳いだ
1822年。
バイロン卿はポルトヴェーネレの岩場の洞窟、今も「バイロンの洞窟」と呼ばれる場所、に座り、対岸を眺めていた。
対岸のサン・テレンツォには、友人のパーシー・ビッシュ・シェリーが妻のメアリーとともに暮らしていた。
ヴィラ・カーザ・マーニという白い邸宅だ。
二人を隔てる湾の幅は約9キロ。
バイロンは泳いで渡ることにした。
荒れた地中海を9キロ。
バイロンは泳ぎ切り、友人のもとへたどり着いた。
この伝説の水泳は今も「バイロン・カップ」として毎年開催される遠泳大会で記念されている。
洞窟の入り口には彼の勇敢さと体力を称える石板が嵌め込まれている。
しかし同じ年、その湾はシェリーの命を奪う。

シェリーの心臓は、炎の中で燃えなかった
1822年7月8日。
パーシー・ビッシュ・シェリーは船でリヴォルノからサン・テレンツォへ戻る途中、嵐に遭った。
船は転覆し、シェリーは溺死した。29歳だった。
遺体は10日後、海岸に打ち上げられた。
身元はポケットの中の詩集、キーツの詩集と自分自身の詩集で確認された。
遺体はその場で火葬された。
炎が燃え尽きたとき、奇妙なことが起きた。
シェリーの心臓だけが、炎に燃えなかった。
バイロンがその心臓を火の中から取り出した、と伝えられている。
シェリーの遺灰はローマの英国領事館のワインセラーに保管された後、ローマのプロテスタント墓地に埋葬された。
1年前に死んだジョン・キーツの墓のそばに。
心臓はメアリー・シェリーが持ち続け、彼女の死後、シェリーの詩「アドネイス」(キーツへの挽歌)が書かれた紙に包まれた状態で発見された。
心臓は最終的にイギリス、ドーセット州ボーンマスのセント・ピーターズ教会の墓地に埋められた。
炎で燃えなかった心臓。
詩人の湾で溺れた詩人。
採掘場のある岬のすぐそばで、これだけの話が起きていた。
黒と金の、静かな証人
ネロ・ポルトロはこれほどの場所から切り出される。
ダンテが断崖を仰ぎ、バイロンが海に飛び込み、シェリーが溺れた入り江の岩盤から、黒に金が走る石が生まれる。
ヴェルサイユの王たちはその石で宮殿を飾り、ローマ教会はその石で祭壇を縁取り、現代の建築家はその石で床を磨き上げる。
「ポルト・ドール 黄金の扉」。
詩人たちが次々に引き寄せられ、そして何人かが戻ってこなかった場所の石に、黄金の扉という名前がついているのは、偶然だろうか。




















