【大理石の物語 16】スフィンクスの鼻はナポレオンが壊した、は嘘だった

エジプト、ギザの砂漠に鎮座する大スフィンクス。
全長73.5メートル、高さ20メートル。世界最大の一枚岩彫刻のその顔には、鼻がない。


「ナポレオンが大砲で撃って壊した」。学校でそう習った、旅行ガイドにそう書いてあった、という人は多い。
エジプト現地のガイドが今も観光客にそう説明していることもある。

だが、これは嘘だ。証拠が残っている。

ギザの大スフィンクスの顔。鼻の幅は約1メートル、高さ約1.5メートルと推定されている。
欠損した断面を見ると、ノミやハンマーで機械的に引き剥がされた痕跡が残っている。砲弾による損傷の跡ではない。

「60年前の絵」が証拠だった


決定的な証拠は一枚のスケッチだ。


1737〜1738年
デンマークの探検家フレデリック・ルイス・ノルデンがエジプトを訪れ、スフィンクスのスケッチを残した。
そこにはすでに、鼻のないスフィンクスが描かれている。

ナポレオンがエジプトに到達したのは1798年。
つまりノルデンのスケッチは、ナポレオン到来の60年以上前の記録だ。
この一枚で「ナポレオン犯人説」は完全に崩れる。


ナポレオン軍がスフィンクスを砲撃したという記録は存在しない。
むしろナポレオンは古代エジプト文明に強い関心を持ち、多数の学者や芸術家を遠征に同行させていた。
古代遺跡を砲撃する動機も記録も、どこにも存在しない。

デンマークの探検家ノルデンが1737〜38年に描いたスフィンクスのスケッチ。
ナポレオンのエジプト到来(1798年)より60年以上前の記録だが、すでに鼻が欠けた状態で描かれている。
これが「ナポレオン砲撃説」を否定する最も明確な証拠だ。

では、本当に誰が壊したのか


現時点で最も有力とされているのは、14世紀のイスラム教スーフィー修行者・ムハンマド・サイム・アル=ダールによる破壊説だ。


アル=ダールという名の敬虔なイスラム教徒が、洪水を防ぐために地域の農民がスフィンクスに犠牲を捧げる習慣に嫌悪感を抱いた。
偶像崇拝行為だと考えた彼は、14世紀のある時点でハンマーとノミで故意に鼻を切り落としたと言われている。

イスラム法学者アル=マクリーズィーが15世紀に書いた記録には「サイム・アル=ダールという者が鼻を切り落としたことで、ナイル川の砂が農地に押し寄せるようになった」という記述が残っている。


ただし、この説も完全に確定しているわけではない。
岩そのものの証拠から、何者かがハンマーとノミで鼻の下の領域に侵入し、それらの道具を使ってこじ開けたことが明らかになった。

しかし、その研究を行った考古学者は、鼻は3世紀から10世紀の間に折れた可能性が高く、アル=ダールの破壊行為疑惑よりも数百年前に折れたと結論づけた。


つまり現時点での「正解」はこうだ。
ナポレオンではない。
おそらく中世のイスラム教徒による偶像破壊だが、正確な時期も人物も確定していない。

ナポレオンのエジプト遠征(1798〜1801年)を描いた絵画。
ナポレオンは遠征に150人以上の学者・芸術家を同行させ、古代エジプト文明の調査を行った。
その成果が全12巻の『エジプト誌』だ。
古代遺跡を砲撃する動機はどこにもない。

なぜ「ナポレオン犯人説」は広まったのか


嘘はなぜここまで世界に広まったのか。理由はいくつか重なっている。


まず「悪役のイメージ」だ。
ナポレオンはフランスの英雄であり征服者としてのイメージと結びつき、長年にわたりまことしやかに語られてきた。

ヨーロッパ各国やイギリスでは、彼を悪者として描く物語が歓迎されやすかった。
征服者が古代の象徴を無造作に破壊した。そのイメージは感情的にわかりやすく、広まりやすい。


次に「現地のガイドが伝え続けた」という問題がある。

観光業の中で「ナポレオンが壊した」という話は語りやすく、盛り上がりやすいエピソードとして定着した。
エジプトの現地ガイドが今も観光客にそう説明する場面が報告されている。


さらに「否定する情報が広まりにくい」という構造的な問題もある。

「○○が壊した」という話は拡散しやすいが、「実は証拠がない」という話は地味で広まりにくい。

誤情報は面白い。
訂正は退屈だ。

だから嘘のほうが生き残る。

「鼻」はどんな形だったのか


そもそも、失われる前のスフィンクスの鼻はどんな形だったのか。

残された断面の測定から、幅約1メートル、長さ(高さ)約1.5メートルと推定されている。
現在の顔のプロポーションからすると、かなり大きく前に突き出た鼻だったことになる。


スフィンクスの顔は元々、濃紅色で塗られていたようで、身体は青や黄色だった可能性が示唆され、もっとカラフルだったようだ。

完成当時のスフィンクスは白や灰色ではなく、極彩色に彩られた像だった。
古代ギリシャの大理石像と同じく、「白い古代」は私たちの思い込みだ。

ギザ台地に並ぶ三大ピラミッドとスフィンクス。
スフィンクスは紀元前2500年頃、カフラー王の命により一枚の石灰岩の丘を彫り下げて作られたとされる。
1798年にナポレオンがギザを訪れた時も、大スフィンクスの首から下は砂に埋もれており、全身が現れたのは1926年のことだった。

石が語る「本当の歴史」を追う


スフィンクスの鼻をめぐる話は、石の物語であると同時に、フェイクニュースの物語でもある。


わかりやすい「犯人」を作ることで、複雑な歴史が単純化される。
ナポレオンという「悪役」に罪を着せることで、中世の宗教的偶像破壊という、より根の深い問題から目がそれる。

砲弾のほうが、ノミとハンマーによる地道な破壊よりもドラマチックだからだ。


だが、石は嘘をつかない。

スフィンクスの鼻の断面には、てこのような道具で引き剥がした痕跡が残っている。

そこにあるのは、大砲の傷ではない。
ノミとてこの痕だ。

4500年前の石の顔は、今も静かに真実を語っている。

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石と建築、芸術と歴史にまつわる物語。 世界の石は、ただの素材ではない。 そこには歴史と建築、人間の物語が刻まれている。

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