【大理石の物語 35】ペロタの大学が生んだネロ・マルキーナという黒い石

世界で最も有名な黒い石のひとつに、バスクの小さな町の名前がついている。

ネロ・マルキーナ。イタリア語で「黒いマルキーナ」を意味するこの石の産地は、スペイン北部バスク州ビスカイア県のマルキーナ=シェメイン——ビルバオから東へ約50キロ、ビスカイア湾の山並みに分け入った、人口5,000人ほどの小さな町だ。

その黒さは、石に自然に含まれるビチューメン(天然アスファルト)から来ている。道路舗装に使われるあの黒い素材と同じ成分が、石灰岩の地層に浸み込んで固まった。世界中の高級建築の床や壁を飾る漆黒の石の正体が、アスファルトだというのは少し可笑しいが、それが事実だ。

採石場の町は、「ペロタの大学」だった


マルキーナという町を語るとき、石材業者と観光客では全く違う景色が見えている。

石材業者はこう言う。「バスクの黒大理石の産地。ビルバオから50キロ」。

しかしバスク地方の人々にとって、マルキーナはまず「ペロタの聖地」だ。
1798年に建設された町のフロントン(ペロタ競技場)は、世界でただ一か所「ペロタの大学」と呼ばれている。
かつてここから巣立った選手たちが、あまりに多くの世界チャンピオンを輩出したからだ。

バスク・ペロタ 「ジャイ・アライ(楽しい祭り)」の名でも知られるこの競技は、壁に向かって硬いゴム製のボールを打ち続ける。
使う道具は手か、木のパドルか、籠状のセスタと呼ばれる長い籠手か。
テニスボールほどの大きさのボールが、時速250キロを超える速度で飛ぶ。
ギネスブック認定の「世界で最も速いボールスポーツ」だ。

黒い石を産む山の麓で、世界最速の球技が育まれていた。

マルキーナの選手たちはフロリダへ渡った


19世紀末、ジャイ・アライはバスクの山を出て世界へ広がった。
メキシコ、キューバ、アルゼンチン、フィリピン、そしてアメリカへ。
特にフロリダ州では、マルキーナ出身の選手たちが中心となってこのスポーツを普及させた。

アメリカでジャイ・アライが爆発的に人気を得たのは、賭け事ができたからだ。
パリミュチュエル方式(馬券と同じ仕組み)で賭けられるジャイ・アライは、1970年代から80年代にかけてアメリカで最も賭け金が動くスポーツになった。
全盛期には全米14か所にフロントンがあり、フロリダだけで年間数千万ドルが動いた。

マイアミ・バイスの冒頭シーンにジャイ・アライが登場するのも、あの時代の空気そのものだ。
マルキーナの黒い石が採れる山の隣で育った球技が、80年代のアメリカ最大の賭けスポーツになっていた。

しかし1988年、ジャイ・アライの選手たちはストライキに突入した。
賃金交渉の決裂だった。
ストライキはアメリカプロスポーツ史上最長の3年間続いた。

その間にフロリダにカジノが解禁され、NBAのヒートとMLBのマーリンズが誕生した。
娯楽の選択肢が増え、ジャイ・アライは急速に客を失った。
2021年、最後のフロントンが閉鎖され、フロリダのジャイ・アライは69年の歴史に幕を下ろした。

マルキーナの選手たちが渡った夢の舞台は、もうない。

フランコ独裁と、バスクの抵抗


マルキーナがある土地、バスク地方には、もうひとつの顔がある。

スペイン内戦(1936〜39年)でバスク人の多くはフランコの国民派に抵抗した。
フランコ独裁政権はバスク語の使用を禁じ、バスク文化を弾圧した。
その抑圧への怒りから1959年に生まれたのがETA(バスク祖国と自由)だ。
ETAは独立を求める武装組織として数十年間テロ活動を続け、800人以上の命を奪った後、2018年に完全解散した。

ネロ・マルキーナの採石場があるビスカイア県は、ETAの主要な活動地域と重なっていた。
石を切り出す山の近くで、スペイン国家との激しい対立が続いていた。

静かで美しい黒い石が産まれる場所は、20世紀を通じて穏やかではなかった。

フランク・ゲーリーとサンティアゴ・カラトラバが選んだ石


そのバスク地方が、20世紀末に劇的な変貌を遂げる。

1997年、ビルバオにフランク・ゲーリー設計のグッゲンハイム美術館が開館した。
チタンの外壁が川面に映えるこの建物は「ビルバオ効果」という言葉を生み、廃れた工業都市を世界的な観光地に変えた。

同じ頃、ゲーリーはラ・リオハのワイナリーホテル「マルケス・デ・リスカル」の設計にネロ・マルキーナを採用した。
同じバスクの建築家サンティアゴ・カラトラバも、ビスカイア県内の「イシオス・ワイナリー」設計に同じ石を使った。

バスクの黒い石が、バスクの復興を象徴する建築を飾った。
ビルバオ・グッゲンハイム美術館
マルケス・デ・リスカル

黒と白のコントラスト


ネロ・マルキーナの美しさは、黒地に走る白い方解石の脈にある。
漆黒の地に、雷光のような、あるいは繊細な毛細血管のような白が走る。
磨き上げると鏡のような光沢が出て、その対比はいっそう鮮明になる。

建築家がこの石を好む理由はそこにある。
単独で使っても強い存在感がある。
白い大理石と組み合わせると、市松模様が古典的な威厳を生む。
カラトラバの言葉を借りれば、この石は「空間に句読点を打つ」。

世界最速の球技を育てた町。
アスファルトと同じ成分で黒く染まった石灰岩の山。
バスク独立運動の火が燃えた土地。
そしてゲーリーとカラトラバが選んだ石。

ネロ・マルキーナは、黒地に白い方解石の脈が走るスペインを代表する黒大理石として、世界中の建築で使われている。

ネロ・マルキーナを見る

グッゲンハイム・ビルバオを見る
マルケス・デ・リスカルを見る

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