【大理石の物語 33】タージマハルと、崩れた左右対称

アグラ城、ムサンマン・ブルジュの塔。
晩年のシャー・ジャハーンは、この八角形の小さな塔の窓越しに、来る日も来る日も同じ景色を眺めて過ごした。約2.5キロ先、ヤムナー河の対岸に立つ、白い大理石の墓廟、タージマハル。
彼はもう皇帝ではなかった。1658年、息子アウラングゼーブによって幽閉されたその人物は、かつて帝国の富と職人の技、そして世界各地から集めた宝石を注ぎ込んで築かせた建築を、ただ一人の老人として見つめることしかできなかった。
彼が失ったのは玉座だけではない。この物語には、もうひとつ、完成しなかったものがある。

白い石を選んだ理由


1631年、皇妃ムムターズ・マハルは14人目の子を出産した直後に亡くなった。
シャー・ジャハーンが彼女の墓廟に選んだのは、ムガル帝国の宮殿や城塞で広く用いられていた赤砂岩ではなく、白大理石だった。
ムガル建築において赤砂岩は皇帝の権威を象徴し、白大理石は純粋さや神聖さを表す特別な石とされていた。最愛の妃のための墓廟には、白だけがふさわしいと考えたのである。
石はラージャスターン州マクラーナの採石場から切り出された。現在でも「マクラーナ・ホワイト」として知られるこの白大理石は、不純物が少なく、朝焼けには淡い桃色に、夕暮れには黄金色に、月夜には青白く表情を変える。
採石場からアグラまでは約360キロ。1000頭を超える象や牛車が石材を運び、巨大なドームまで石を引き上げるためには長大な土の傾斜路が築かれた。
さらに、中国の翡翠、スリランカの水晶、ペルシアのトルコ石など世界各地から集められた宝石が、ピエトラ・ドゥーラと呼ばれる象嵌細工として白い石に埋め込まれた。 2万人を超える職人が約20年をかけ、1653年、タージマハルは完成した。

実現しなかった、もうひとつの墓


しかし、この物語は完成で終わらない。
古くから、シャー・ジャハーンはヤムナー河を挟んだ対岸に、自らのための黒い墓廟を築き、白いタージマハルと向かい合わせにしようとしていたという言い伝えが残されている。
現在では、その計画が実際に存在したことを示す決定的な証拠は見つかっていない。対岸で「黒大理石の遺構」と考えられていたものも、調査の結果、変色した白い石だったことが判明している。
一方で、対岸の庭園や池は、白いタージマハルを水面に映し出すよう設計されていたことが明らかになっており、シャー・ジャハーンが建築全体の対称性を強く意識していたことは確かだ。
黒いタージは歴史的事実だったのか、それとも後世が生み出した美しい伝説なのか。
その答えは今も分からない。
しかし、ひとつだけ確かなことがある。
シャー・ジャハーンは、自分自身の墓を別に築く前に皇帝の座を失った。

崩れた左右対称


タージマハルという建築を貫く思想は、徹底した左右対称である。
四つの外壁は寸分違わず同じ姿を見せ、中央のドームを四本のミナレットが囲む。庭園も水路も、建物の細部に至るまで、驚くほど正確な対称性によって構成されている。 本来、地下の墓室もムムターズ・マハルだけが中央に眠ることで、その均衡は完成するはずだった。
ところが実際に内部へ入ると、そこには唯一、この対称を崩すものがある。
ムムターズの棺の隣に、一回り大きなシャー・ジャハーンの棺が並んで置かれているのである。
中心から、わずかに外れた位置に。
これは設計ミスではない。
幽閉されたシャー・ジャハーンには、自らの墓廟を新たに築くことはできなかった。
1666年に亡くなると、彼は妻の眠るタージマハルの中へ埋葬された。
こうして、完璧な左右対称を追い求めた建築の中に、たった一つだけ非対称が生まれた。
それは、皇帝自身の墓だった。

タージマハルが持つ意味と現在


完成後、シャー・ジャハーンは息子アウラングゼーブに幽閉され、アグラ城の塔からタージマハルを眺めて余生を過ごした。黒大理石で自身の墓を作り、対称のもう一つのタージマハルを建てる夢もあったが、実現しなかった。
財政負担が大きく、帝国の衰退を招いた側面もある。

現代ではUNESCO世界遺産として厳重に保存され、年間数百万人の観光客が訪れる。環境汚染による黄変対策や、洪水対策が課題だ。
月夜のタージマハルは特にロマンチックで、「愛の力で石が動く」象徴として語り継がれる。

エジプトのピラミッドや他のモニュメントも大理石を使うが、タージマハルは「すべて大理石」のスケールと宝石の豪華さが圧巻。
悲恋の物語が石に刻まれ、訪れる者に永遠の愛を想起させる。
インド旅行のハイライトとして、必見の建築だ。

石に残った、人間の物語


タージマハルは「永遠の愛の象徴」と語られる。 確かに、ムムターズへの愛は、20年という歳月と帝国の莫大な財力によって、白い大理石の建築として結晶した。
しかし、この建築が本当に語っているのは、それだけではない。
権力を極めた皇帝でさえ、すべてを思い通りにはできなかったという事実である。
400年近く風雨にさらされながら、タージマハルは今も白く輝き続けている。
だが、その美しさもまた、人々の修復と手入れによって守られてきたものだ。
石は永遠に見える。
しかし、その石に刻まれた人間の願いは、必ずしも完成するとは限らない。
完璧な左右対称の中に、たったひとつだけ残された小さな非対称。
それは失敗の跡ではない。
愛する人のために世界で最も美しい墓を築いた皇帝が、自分自身の願いだけは叶えられなかったという、歴史そのものの痕跡なのである。


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