【大理石の物語 12】バチカンの「ふんどし画家」事件、ミケランジェロの復讐と、弟子の悲劇

ミケランジェロが4年かけて完成させたシスティーナ礼拝堂の天井画は、世界を驚かせた。
そして25年後、《最後の審判》は、世界を怒らせた。


「裸が多すぎる。聖なる場所に相応しくない。公衆浴場か酒場に飾るべきだ」


そう言い放ったのは、教皇の儀典長だった。
ミケランジェロは怒り、復讐した。
そして20年後、弟子が後始末をさせられることになった。

ミケランジェロ《最後の審判》(1536〜1541年、システィーナ礼拝堂祭壇壁面)。
縦13.7m×横12m。400人以上の人物がすべて裸体で描かれた。完成当時、この裸体群が激しい批判を受けた。

《最後の審判》とは何か


1536年、60代を迎えたミケランジェロは再びシスティーナ礼拝堂へ呼び戻された。
今度は祭壇正面の巨大な壁一面に、世界の終わりを描く《最後の審判》を描くためだ。

5年の歳月をかけて1541年に完成したこの壁画には、天国へ昇る者、地獄へ堕ちる者、裁くキリスト、400人以上の人物が、ほぼすべて裸体で描かれていた。


ミケランジェロにとって、裸体は「魂の真実」を表す手段だった。
衣服は社会的な役割や身分を示すが、魂に上下はない。最後の審判の前では、皇帝も乞食も等しく裸で神の前に立つ。
それがミケランジェロの思想だった。

「酒場に飾るべきだ」儀典長の怒り


ところが完成前から、批判の声は上がっていた。
教皇の儀典長ビアージョ・ダ・チェゼーナは、制作中の壁画を見て激怒した。

「裸が多すぎる。聖なる場所に相応しくない。公衆浴場か酒場に飾るべきだ」

そう教皇パウルス3世に直訴したのだ。

ミケランジェロはこれを聞いて、静かに筆を取った。
完成した壁画の右下の隅、地獄の入り口に、蛇に体を巻かれた裁判官の姿を描き込んだ。
その顔は、チェゼーナにそっくりだった。

地獄の裁判官ミノスとして、永遠に壁の中に閉じ込めたのだ。


チェゼーナが教皇に抗議すると、パウルス3世はこう答えたとされる。
「私の権限は天国と地上に及ぶが、地獄にまでは及ばない。<そこから救い出すことは私にはできない」。
チェゼーナは地獄に放置された。

《最後の審判》右下隅に描かれた地獄の裁判官ミノス。
顔はミケランジェロを批判した儀典長ビアージョ・ダ・チェゼーナをモデルにしており、蛇が体に巻きついている。
ミケランジェロ流の「芸術的復讐」だ。

「イチジクの葉運動」検閲の始まり


ミケランジェロが1564年に死去すると、状況は一変した。
同じ年、カトリック教会の改革会議「トリエント公会議」が宗教画における裸体表現を公式に非難する決議を出した。
宗教改革(プロテスタント)の台頭に危機感を抱いたカトリック教会が、自らを「清潔」に見せようとした結果だ。


この流れは「イチジクの葉運動」と呼ばれた。
裸体の彫刻や絵画の「問題部分」をイチジクの葉や布で隠す動きが、ヨーロッパ中の教会で起き始めた。
バチカンのシスティーナ礼拝堂は、その中心にあった。

弟子・ダニエレの悲劇「ふんどし画家」の誕生


仕事を命じられたのは、ミケランジェロの弟子ダニエレ・ダ・ヴォルテッラだった。
師が死んだ年、ダニエレは足場を組んでシスティーナ礼拝堂に入り、師の壁画の人物たちに腰布や衣をひとつひとつ描き足す作業を始めた。


ダニエレはもともと優れた画家だった。
師ミケランジェロから才能を認められ、スケッチを与えられ、バチカンで仕事ができるよう取り計らってもらった。
その弟子が今、師の最高傑作を「修正」しなければならない。
どんな気持ちでその筆を持ったのか、記録には残っていない。


やがて彼には「Il Braghettone(イル・ブラゲットーネ)」というあだ名がついた。
直訳すれば「大きなズボン描き」より正確には「ふんどし画家」と訳されることが多い。
本来の意味は性器を覆う袋状のものを指す俗語で、嘲笑と揶揄を込めたあだ名だ。
ダニエレが死ぬまでこのあだ名は消えなかった。

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラの『幼児虐殺』

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ《キリスト降架》(ローマ、トリニタ・デイ・モンティ教会)。
ミケランジェロに才能を認められた弟子の、本来の代表作。しかし歴史は彼を「ふんどし画家」として記憶した。

何が修正され、何が残ったか


ダニエレが実際に手を加えたのは主に2か所だ。
聖カタリナと聖ブラシウスの場面、元の絵では聖ブラシウスが裸の女性の背後から性行為をしているように見えると問題になり、ダニエレはフレスコ画の表面をノミで削り取って描き直した。
これは「加筆」ではなく「破壊と再制作」であり、オリジナルは永久に失われた。


壁画下部の腰布の多くは、後の時代に別の画家たちが付け足したものだ。
修正は一度では終わらず、17世紀にも追加の「検閲」が行われた。
ダニエレの作業が中断したのは、作業中に教皇ピウス4世が死去し、礼拝堂が次の教皇選挙(コンクラーヴェ)のために必要になったためだ。
足場が急いで撤去され、ダニエレの仕事は未完のまま終わった。

1993年の修復——布の下のオリジナルが戻った


1980年代から90年代にかけて行われた大規模な修復作業で、加筆された腰布の一部が取り除かれ、ミケランジェロのオリジナルが回復された。

ただし、ダニエレがノミで削り取って描き直した部分はオリジナルが存在しないため、修復のしようがない。
現在のシスティーナ礼拝堂の《最後の審判》は、ミケランジェロの絵と、ダニエレ以降の加筆が混在した状態だ。

システィーナ礼拝堂の天井画《創世記》。
こちらは裸体が問題にならなかったため修正を免れた。
同じ礼拝堂に、修正された《最後の審判》と修正されなかった天井画が共存している。

ミケランジェロ自身も描き込んだ「自画像」


《最後の審判》にはもうひとつ有名な謎がある。
地獄に堕ちる場面の近くに、剥がれた皮膚を手に持つ聖バルトロメウスが描かれている。
その皮膚の顔、ぐにゃりと歪んだその顔は、ミケランジェロ自身の顔だとされている。
死後、魂が裁かれる瞬間、ミケランジェロは自分を「抜け殻の皮」として描いた。誇りではなく、虚無として。


師は地獄の裁判官として批判者を描き、自分自身を抜け殻として描いた。
弟子は師の絵に布を描き足し、「ふんどし画家」と呼ばれ続けた。

天才の誇りと皮肉、そして弟子の悲劇。
それらすべてが、ひとつの壁に閉じ込められている。

ぐにゃりと歪んだ皮膚の顔は、ミケランジェロ自身の顔だと言われている。

これらすべては、石の上に描かれた物語だった。
フレスコ画の下地となる壁もまた、人の歴史を受け止め続けている。

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