カラシュ=セヴェリン県ルスカ・モンターナ村のルスキタ、この小さな村の北側の山腹に、ルーマニア最大にしてヨーロッパ有数の大理石採石場がある。 40ヘクタールを超える採掘面積。
白、グレー、ピンク、黄色、同じ山から複数の色調が採れる。
日本ではその色調によって「ルスキッサ・ライトピンク」「ルスキッサ・ダークピンク」として区別して輸入されてきたが、産地は同じひとつの山だ。
バナト地方の深い森に囲まれたこの採石場は、カッラーラとは比べ物にならないほど無名だ。
しかしこの山の石が辿り着いた場所を知ると、ルーマニアの近代史がそのまま見えてくる。


「ハンガリーのカッラーラ」を開いた男
1883年。
ハプスブルク帝国の支配下にあったこの地で、ひとりのドイツ系技術者が採石場を開いた。
ヨハン・ビーベル・シニア(1817〜1900年)。
オラヴィツァ出身のエンジニアで、ハンガリー王国から土地の採掘権を取得し、当時としては最新の採掘技術と機械を導入した。
彼はこの採石場を「マジャール・カッラーラ(ハンガリーのカッラーラ)」と名付けた。
イタリアの名産地と同等の石が、この山から採れると信じていたからだ。
カッラーラに対する挑戦宣言でもあった。
ヨハン・シニアの死後、採石場は息子のヨハン・ビーベル・ジュニア(1858〜1937年)に引き継がれた。
息子は建築家だった。
そしてパリのエッフェル塔建設プロジェクトに携わった人物でもあった。
鉄の塔を建てた建築家が、石の山を経営した。
ジュニアは最新の機械を次々と導入し、採掘面積を拡大し、加工工場をカランセベシュに設けて販路を広げた。
1937年の国際石材博覧会(パリ)では、ルスキッサ大理石が世界的な評価を得た。
カッラーラと比較して硬度が高く耐候性に優れ、屋外での使用にも耐える。
「カッラーラより優れた屋外石材」という評判が世界に広まった。

シシィの像は、この石で作られた
ハプスブルク帝国の時代、ルスキッサの名声はウィーンにまで届いていた。
オーストリア=ハンガリー帝国の宮廷や邸宅がこの大理石で飾られ、帝国の権威を象徴する建物の壁と床にルスキッサが使われた。
そして最も象徴的な使われ方が、ひとりの皇后の記念像だ。
エリザベート皇后「シシィ」の愛称で知られる、ハプスブルク帝国で最も愛された女性。
1898年、
スイスのジュネーヴでアナーキストに心臓を刺されて暗殺された。享年60歳。
その死を悼み、帝国各地に記念像が建てられた。
ウィーン、ザルツブルク、ブダペスト、セゲド、それらの像の多くが、ルスキッサの白大理石で作られた。
今もヨーロッパ各地でシシィの像の前に立つとき、その白い石はルーマニアの山から来ている。
シシィは生前、自由を求め、宮廷生活を嫌い、旅に生きた。
皇后という役割に縛られながら、常にどこかへ逃げようとしていた。
その彼女の像が、遠くルーマニアの山の石で刻まれ、帝国の各都市に置かれた。
皇后の死後も、石の中に閉じ込められて。

共産主義が採石場を飲み込んだ
1948年。
第二次世界大戦後にルーマニアに成立した共産主義政権が、法律第119号によってビーベル家の会社を国有化した。
65年にわたってビーベル家が育てた採石場は、一夜にして国家のものになった。
その後採石場はマルモシム社(MARMOSIM S.A.)として国営で運営され、今日に至る。
採掘深度はすでに130メートルを超え、露天掘りと坑道掘りを組み合わせるルーマニア唯一の採石場として稼働している。
しかし共産主義時代のルスキッサの最大の「仕事」は、まだこれからだった。
独裁者が「人民のために」建てた、世界第二の巨大建築
1970年代末、
ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクは北朝鮮を訪問した。
金日成が建てた巨大建築を見て、彼はこう決意したとされる、私も建てる、もっと大きいものを。
1984年、
ブカレストで建設が始まった。
「人民の宮殿(パラトゥル・ポポルルイ)」後の国会議事堂だ。
建設のために、ブカレストの旧市街から26の教会、シナゴーグ、歴史的建造物、そして7000戸以上の民家が取り壊された。
5万7000家族が強制移住させられた。
2万人の労働者と700人の建築家が24時間体制で建設に従事した。
完成した建物の規模は桁外れだ。
高さ86メートル、横幅270メートル、奥行き245メートル。
1000を超える部屋と広間。
4500本のシャンデリア。
核シェルターと地下の逃走路。
現在も世界第二位の建築面積を誇る。
第一位はアメリカのペンタゴンだ。
そしてこの建物の壁と床を覆う大理石の99%が、ルスキッサだった。
使用量は約200万平方メートル
おそらく一棟の建物に使われた大理石の量としては世界史上最大だ。
人民が食料不足と停電と暖房なしの冬に耐えている間、200億ドルが「人民の宮殿」につぎ込まれた。
チャウシェスクはその完成を見ることなく、1989年12月25日のクリスマスに銃殺された。
建物はまだ完成していない。今も一部の部屋で工事が続いている。

ピンクの石が語ること
ルスキッサ・ダークピンクのピンク色は、石の中に含まれる酸化鉄から来ている。
山の上部から白、中央からグレー、南側からピンクが採れる。
地層の違いが色の違いを生む。
同じ山の石が、シシィの純白の記念像になり、チャウシェスクの独裁の宮殿の壁を覆った。
ハプスブルクの皇后と東欧の独裁者。
自由を求めた女性と、自由を奪った男性。
この二つの極を、ルスキッサの石はひとつの山から供給した。
石は選ばない。
誰が使うか、
何のために使うかを、
石は問わない。
ただ山から切り出され、どこかへ運ばれ、誰かの意志のために使われる。
バナト地方の深い森の中で、今日も採掘は続いている。


















