【大理石の物語 43】紅茶とニューヨークと、大理石の街から嫁いだ王妃、ローズ・オーロラという石

ピンクの正体は、錆だ。


ローズ・オーロラ、ローザ・ペルリーノとも、ローザ・ポルトガロとも、エストレモスとも呼ばれるこの石のピンク色は、石灰岩の方解石結晶の間に入り込んだ微細な酸化鉄(ヘマタイト)から来ている。

数億年前の海底で、鉄分が石灰質の堆積物に染み込んで酸化した。
その錆が、世界中の高級建築を飾るあの上品なピンクを作り出している。

産地はポルトガル南部アレンテージョ地方、エヴォラ県。
エストレモス、ボルバ、ヴィラ・ヴィソーザという三つの町を中心に160以上の採石場が集まる。

この地域はローマ時代から大理石が採掘されてきた。

街の道路、建物の玄関、窓枠、教会の柱、あらゆるものがこの石でできている。
「アレンテージョの王女」と呼ばれるヴィラ・ヴィソーザは、文字どおり大理石の街だ。
ローズオーロラ スラブ材

公爵が妃を宮殿で刺し殺した


ヴィラ・ヴィソーザの中心に、ブラガンザ公爵家の宮殿(パソ・ドゥカル)がある。
1501年に建設が始まったこのルネサンス様式の宮殿は、ポルトガル王家ブラガンザ家の居城として何世紀にもわたって使われてきた。
内部にはローズ・オーロラをはじめとする地元の大理石が贅沢に使われ、アズレージョのタイル、タペストリー、フレスコ画が並んでいる。

しかしこの美しい宮殿の中で、1512年、おぞましい事件が起きた。

第4代ブラガンザ公爵ジェイムは、妻レオノール・デ・グスマンが小姓と不倫していると思い込んだ。
彼は宮殿内で妻とその小姓を自ら刺し殺した。
冤罪だったとも、実際に不倫があったとも言われているが、真相は謎のままだ。
大理石の宮殿に、公爵の妻の血が流れた。
パソ・ドゥカル・デ・ヴィラ・ヴィソーサ

王が冠を聖母に捧げ、以来どの王も冠をかぶらなかった


ブラガンザ家はポルトガルをスペインの支配から解放した王朝だ。

1640年、ジョアン8世ブラガンザ公爵がスペインへの反乱を起こし、ポルトガルの王位に就いてジョアン4世となった。
60年にわたるスペイン支配がここに終わった。

その6年後の1646年。
ジョアン4世はヴィラ・ヴィソーザの地元教会を訪れた。

彼は頭から王冠を外し、教会に祀られた聖母受胎告知像の頭に被せた。

「この戦いに勝利させてくれた感謝として、ポルトガルの王冠とこの王国を、あなたに捧げます」と宣言し、聖母を「ポルトガルの守護聖人にして女王」と定めた。

そしてジョアン4世はこう誓った、
「以来、いかなるポルトガル王もその冠を被ることはない、」と。

この誓いは守られた。
以後のポルトガル王は誰一人として、その冠を被ることなく即位した。

冠は今も教会に飾られ、聖母の頭上にある。

大理石の街で、冠は王から聖母へと移り、二度と王の頭に戻らなかった。

大理石の宮殿で生まれた王女が、イギリスに紅茶を広めた


1638年11月25日。
ヴィラ・ヴィソーザの公爵宮殿で、一人の王女が生まれた。
カタリナ・デ・ブラガンザ。
ジョアン4世の娘だ。

1662年、
彼女はイギリス王チャールズ2世に嫁いだ。
持参金として、ボンベイ(現在のムンバイ)、タンジール、東インドでの貿易特権、そして多額の現金。
ポルトガルの植民地帝国の力がそのまま嫁入り道具になった。

イギリスはこの結婚でボンベイを手に入れた。
インド支配の出発点だ。

しかしカタリナがイギリスにもたらした最も身近な遺産は、紅茶だ。

カタリナはポルトガル式の茶を飲む習慣をイギリス宮廷に持ち込んだ。

当時イギリスで紅茶はまだ珍しかったが、王妃がお茶を飲む姿を見た貴族たちが次々と真似をし、やがて紅茶はイギリスの国民的飲み物になった。
「アフタヌーンティー」の文化の遠い源流が、ヴィラ・ヴィソーザの大理石の宮殿にある。

それだけではない。
カタリナの名はニューヨークにも刻まれている。
北米植民地時代、イギリスがオランダからニューアムステルダムを奪い「ニューヨーク」と改名したとき、その周辺の地域にカタリナ王妃の名が冠された。

それが今のニューヨーク市クイーンズ区だ。

ヴィラ・ヴィソーザで生まれた王女が、ニューヨークの地名になり、イギリスの紅茶文化を生んだ。
大理石の街の宮殿から、世界が動いた。
カタリナ・デ・ブラガンサ(Catarina de Bragança)

最後の王が、この宮殿から旅立った


ヴィラ・ヴィソーザの宮殿にはもうひとつの話がある。

1908年2月1日。
ポルトガル国王カルロス1世はこの宮殿で最後の夜を過ごした。
翌朝、リスボンへ向かった国王は、馬車でリスボン市内を走行中に暗殺された。
息子も同時に撃たれて死亡した。
この事件は2年後の共和制革命の引き金となり、ブラガンザ王朝は終わった。

公爵の妻を刺した宮殿。
冠を聖母に捧げた王が住んだ宮殿。
紅茶とニューヨークを生んだ王女の生家。
そして最後の王が旅立った宮殿。

ローズ・オーロラの産地の中心にある建物に、ポルトガルの歴史がぎっしりと詰まっている。

錆が作る、夜明けの色


ローズ・オーロラの「オーロラ」はラテン語で「夜明け」を意味する。
夜明けの空のような淡いピンク、その色が酸化鉄、つまり錆から来ているというのは、この石らしい逆説だ。

錆びることで美しくなる石が、殺人と献冠と王妃の誕生と王朝の終焉を見てきた。
そしてその石が今も、ヴィラ・ヴィソーザの街路を静かに舗装している。

大理石の街では、石が歴史の証人だ。

足元の石に、何百年分の物語が踏み固められている。

ローズ・オーロラは、ポルトガルの大理石の街ヴィラ・ヴィソーザ周辺で採掘される、淡いピンク色が美しい石灰岩として知られている。

ローズ・オーロラを見る

ローズ・オーロラの詳細を見る

関連する大理石の物語

大理石の物語|記事一覧

石と建築、芸術と歴史にまつわる物語。 世界の石は、ただの素材ではない。 そこには歴史と建築、人間の物語が刻まれている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次