ズベボ・ロイヤル(SVEVO ROYAL)日本ではこの名で知られる石の正式名はペルラート・スヴェヴォ(Perlato Svevo)。
イタリア南部プッリャ州バーリ県、ルーヴォ・ディ・プッリャの採石場から採れる黄金色の大理石だ。
アイボリーがかったクリーム色の地に、ヘーゼルナッツ色の小さな点が散りばめられる。
その点々は化石だ——断面に現れた古代の貝殻や有孔虫が、石の表情を作っている。
「スヴェヴォ(Svevo)」はイタリア語で「シュヴァーベンの」「シュヴァーベン家の」という意味だ。
プッリャをこよなく愛し、この地に城を建て、この土地で死んだ、中世最大の知性——フリードリヒ2世の王朝名である。


プッリャに生きた「世界の驚異」
フリードリヒ2世(1194〜1250年)。
神聖ローマ皇帝にして、シチリア王、エルサレム王。
同時代の人々から「ストゥポル・ムンディ(世界の驚異)」と呼ばれた人物だ。
彼はラテン語、シチリア語、ドイツ語、フランス語、ギリシャ語、アラビア語の6か国語を話した。
鷹狩りの世界的権威で、自ら『鳥を使った狩猟の術(デ・アルテ・ヴェナンディ・クム・アヴィブス)』を著した。
科学的な観察と実験に基づいた、当時としては革命的な博物学書だ。
数学、天文学、医学、詩作、建築、彼の知識と関心は中世の常識をはるかに超えていた。
しかし彼が最も愛したのは、ドイツでもシチリアでもなく、プッリャだった。
石灰岩の台地ムルジャが広がるこの南イタリアの大地に、彼は次々と城を建てた。
そしてズベボ・ロイヤルの採石場があるルーヴォ・ディ・プッリャのすぐ近くで、彼はその生涯を終えた。
破門されたまま、エルサレムを取り返した男
フリードリヒ2世の人生は矛盾の連続だった。
1227年、彼は十字軍遠征を何度も先延ばしにしたとして、教皇グレゴリウス9世から破門された。
キリスト教世界から追放された状態のまま、翌1228年に彼はエルサレムへ向かった。
ところが彼は、戦争をしなかった。
アラビア語を流暢に話すフリードリヒは、イスラムのスルタン・アル・カーミルと直接交渉し、外交によってエルサレム、ベツレヘム、ナザレの返還を取り付けた。
血を一滴も流さずにエルサレムを奪還した。十字軍史上、誰も成し遂げていなかったことを。
そして1229年、彼はエルサレムの聖墳墓教会で、自らの手で自分の頭にエルサレム王冠を載せた。
教皇に戴冠してもらう資格がなかったからだ。
破門された皇帝が、破門されたまま、エルサレム王に即位した。
ヨーロッパの宮廷は驚嘆した。
教皇は激怒した。
イスラム世界は彼を称賛した。
「異端者」と「反キリスト」の実験
フリードリヒはその合理主義的な姿勢のゆえに、教会から繰り返し「異端者」「反キリスト」と呼ばれた。
彼が行ったとされる実験のいくつかは、今も語り草だ。
ある実験では、赤ちゃんを言語の聞こえない環境で育て、人間の「本来の言語」が何かを調べようとした。
ヘブライ語か、ギリシャ語か、ラテン語か、アラビア語か。結果は得られなかった、と記録は言う。
赤ちゃんたちが死んでしまったからだ。
別の記録では、人間の消化を確かめるために二人の男を食事させた後、一人を寝かせ、一人を運動させ、後で解剖して消化の違いを調べたとされる。
これらの話の真偽は定かでない。
しかし彼の敵たちがそのような逸話を信じさせようとしたほど、彼の「科学的好奇心」は当時の常識を超えていた。
謎の八角形の城
プッリャに残るフリードリヒの遺産の中で、最も謎に満ちているのがカステル・デル・モンテだ。
1240年頃に建設されたこの城は、完璧な八角形をしており、八つの角にそれぞれ八角形の塔が立つ。
堀も跳ね橋も地下室もない。
防御機能より、幾何学的な美しさと象徴性を追求した建造物だ。
石灰岩と白大理石とサンゴの角礫岩で作られた壁が、プッリャの丘の上に孤立して立っている。
城の目的は今も謎だ。
狩猟の館、天文台、皇権の象徴、説はさまざまある。
1996年にユネスコの世界遺産に登録され、イタリアの1セントユーロ硬貨のデザインにも採用されている。
しかしフリードリヒはこの城の完成を見ることなく、1250年12月13日の夜、プッリャのフィオレンティーノ城で息を引き取った。



王朝の名を持つ石
フリードリヒ2世の死後、彼のシュヴァーベン王朝(スヴェヴィ朝)はプッリャから去った。
しかし石は残った。
ルーヴォ・ディ・プッリャの丘から採れるこの黄金色の石灰岩は、皇帝が愛した土地の名を永久に刻んでいる。
ズベボ・ロイヤル、スヴェヴォ(シュヴァーベン家)の石。
化石が散りばめられた黄金のクリーム色は、中東市場で特に高く評価され、今日も世界中に届けられている。
破門されながらエルサレムを取り返した皇帝。6か国語を話し、鷹狩りの本を書き、赤ちゃんで実験し、八角形の謎の城を作り、プッリャの大地で死んだ男。
その王朝の名を持つ石が、今日も採石場から切り出されている。
石は皇帝よりずっと長く、ここにある。


















